戦中の危機から現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 22:41 UTC 版)
『国華』は、太平洋戦争末期に危機を迎える。1944年(昭和19年)、戦時規制により四六倍版から現在のB4規格版に変えられ、企業整備のため第648号をもって休刊せざるを得なくなる。翌年には空襲により社屋の一部と写真などの貴重な資料を失い、更に瀧の死去が重なる。しかし、1946年(昭和21年)に瀧門下の藤懸静也を新しい主幹に迎え、1年4ヶ月ぶりに復刊。藤懸は戦後の厳しい出版事情の中で『国華』の発刊を軌道に乗せた。1958年(昭和33年)に急逝するも、その後も主幹制度を採りつつ現在に至っている。他に山根有三、辻惟雄、河野元昭らが主幹を務めた。 1989年(平成元年)には、日本東洋美術に関する論文や図書のうち、特に優れたものに贈られる「国華賞」を創設。2003年(平成15年)、百十数年にわたって美術史研究を主導してきた功績に対し菊池寛賞が贈られた。 創刊以来、現在まで継続して刊行され続けている日本でもロングセラーの月刊誌となっている。世界的に見ても、現在発行を続けている美術雑誌の中では最も古い。 『国華』は2020年まで約1万点の作品を紹介してきた。図版として一度載せた作品は再掲載しない「一載不再録」を原則としているが、未紹介や国内外で新たに名品が見つかることもあり、刊行が続いている。『国華』名誉顧問の水尾比呂志は「国華無尽蔵」と評する。海外の日本美術研究者にも参考にされており、大英博物館は創刊号から所蔵している。所在不明になったり、関東大震災や空襲などで焼失したりした作品の図版は、特に貴重な資料となっている。葛飾北斎の肉筆大絵馬『須佐男之命厄神退治之図』は、関東大震災で焼失する前の1910年に『国華』が掲載した白黒図版から、凸版印刷が彩色を推定復元して、すみだ北斎美術館に常設展示されている。 本誌は、戦後の一時期(第690号(昭和24年(1949年)9月号)から第831号(昭和36年(1961年)6月号)まで)を除いて、長らく正字体だった。しかし、今や正字体は多くの日本・東洋美術研究者や愛好家でも読み難く、特に若い世代には近づき難い紙面となったとして、第1428号(平成26年(2014年)10月号)から新字体に改めている。
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