戦中における運営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:23 UTC 版)
「日東交通 (千葉県)」の記事における「戦中における運営」の解説
1937年(昭和12年)には貸切バス事業を開始。日中戦争勃発から1945年(昭和20年)8月の終戦までの間、木更津・館山両市中心部には軍都として、木更津海軍航空隊や館山海軍航空隊の基地など大規模な軍事施設が造られた。あわせて人口も増加し、会社としても繁栄した。 「木更津市#近代」および「館山市#軍都から港湾都市へ」も参照 しかし国家総動員法が施行されると共に、1938年(昭和13年)にガソリン消費規制令が発令され、戦況が進むと同時に車両やタイヤなどといった重要物資はすべて統制対象になってしまう。翌年の1939年(昭和14年)から、ガソリンに替わって木炭・薪を燃料とする「木炭バス」が運行の主体となった。 1941年(昭和16年)より太平洋戦争に突入し、運行に不可欠な物資は徐々に失われ、乗合自動車業界においても厳しい戦争経済の状況へと陥った。一部の従業員は兵士として招集され、車両資材の調達もままならない状態となり、実働車両がわずか5両という日も珍しくはなかった。
※この「戦中における運営」の解説は、「日東交通 (千葉県)」の解説の一部です。
「戦中における運営」を含む「日東交通 (千葉県)」の記事については、「日東交通 (千葉県)」の概要を参照ください。
- 戦中における運営のページへのリンク