怪童、焼肉のために相撲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:31 UTC 版)
2人姉弟の長男として、1977年(昭和52年)7月28日に茨城県水戸市で生まれる。実家は茨城県内にバス路線網を持つ旧茨城交通グループのオーナー一族である。小学生時代に「相撲で勝ったら焼肉食べ放題に連れて行ってやる」と言われたことがきっかけで相撲を始め、「水戸尾曽相撲道場」で指導する武双山正士の父親によって強くなった。雅山が幼少期に好きだった力士には琴椿克之を挙げている。水戸市立見川中学校時代は柔道部に在籍していたが、柔道部の顧問に直談判して相撲部を創設してもらったという[出典無効]。明治大学進学後、1997年(平成9年)9月の東日本学生相撲個人体重別選手権無差別級と1998年(平成10年)4月の全日本大学選抜相撲宇和島大会でそれぞれ優勝して大学二冠を達成すると、大学を3年で中退して武蔵川部屋へ入門、同年7月場所に幕下付出で初土俵を踏む。当時の幕下付出の条件としては1997年(平成9年)の全日本相撲選手権大会で3位入賞の実績を残していた[出典無効][信頼性要検証]が、それを上回る輝かしい実績を引っ提げての入門だった。また、中学時代からのライバルだった岡部(東洋大学)も中退して角界入りしていたことも動機の一つだった。 武蔵川部屋では、学生相撲出身者に有りがちな立合いの甘さを厳しい指導で真っ先に改善させ、初土俵を踏んだその場所と同年9月場所の2場所連続で全勝優勝を決め、同年11月場所ではあっという間に十両に昇進した。その勢いは止まらずに同場所を12勝3敗で3場所連続優勝、1999年1月場所は西十両筆頭の地位で幕内力士との対戦もある中で14勝1敗の好成績を残し、4場所連続優勝を果たすと同時に新入幕を確定させた。あまりにも早過ぎる昇進のために丁髷が追い付かず、長髪の荒々しい風貌から「20世紀最後の怪物」と呼ばれ、右肩の瘤が印象的な力士だった(現在は度重なる手術で小さくなっている)。新入幕の同年3月場所は幕内力士との力の差もあって二桁勝利はならなかったものの、9勝6敗で敢闘賞を受賞、初土俵から所要5場所での三賞受賞は、2014年現在の最速記録である。
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