心理描写・文体の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 17:08 UTC 版)
「ドルジェル伯の舞踏会」の記事における「心理描写・文体の特徴」の解説
シュールレアリスムに影響を与えたアルチュール・ランボーの作品に散見される「言葉の上に重なる言葉」、「思いがけない微妙な交感」は、新心理小説(意識の流れ)を代表するジョイスのユリシーズにも見られ、それは「哲学的な、無解決な、無意識を無意識といふ名にのみ止めておく」という描写であるが、ラディゲの心理描写の場合は、ジョイスやプルーストような「内心独白」ではなく、人に「アンニュイ感」を与えない。また、外界や人物の外見の具体的な描写もほとんどなく、ヒロインの容貌さえ定かではないところが特徴で、その心理は、「〈ロマネスク〉であると同時に、正確無比の論理」で「数学的で白金質(プラチナ)」であり、ジョイスが無意識そのものを描いた「無意識」を、ラディゲはあたかも意識(自意識そのもの)のように論理的に解剖していると三島由紀夫は説明している。 また、ラディゲはフランス文学伝統的な古典主義傾向やモラリスト的心理小説の傾向を持つが、ポール・モランが「無秩序」に屈伏し、ジョイスが「異常」さを追っているのに反し、ラディゲは異常さよりも「平凡」を追い、ダダイスムによって生まれたあらゆる奇異の中で、ラディゲは「平凡の名の下の非凡」、「平凡たらんとする努力」をし、「ごく普通な感情の特異さ」、「無秩序」に対し「秩序と平静」を描くことを目指していると堀辰雄や三島は指摘し、そこでは、恋愛の発生に常態の「自然な感情」、平凡さを美しく正確に描かれ、この「源泉的な感情」が恋愛の発展に伴奏しているばかりでなく、小説の描く「心理の二重性」「錯誤の喜劇」を解くポイントともなっていると生島遼一も説明している。 このような心理描写を特徴とするラディゲの文体は、抽象的で、まるで「医師のカルテのような冷静な」心理分析がなされ、「ひとことでも読み落としたらたちまち理解不能になりそうな、ぎりぎりの限界のところ」に成り立つ凝縮されたものであり、翻訳者は必要最低限度の言葉を補っている。その「白熱電球のフィラメントが細い一筋の短い糸でありながら強烈な光を放つさま」を思わせる簡潔で冷静な文体のあり方そのものが、すでに作品の「悲劇的な緊張感」をはらんでいると安藤元雄は解説している。 そして登場人物の心理を表わす、そうした硬質で簡素な文体は、「どのページにも、将棋の駒の塔や道化の動きとすこしも変わらぬといえるような、女の心もしくは男の心の動きがある」、「作者の確実にして冷酷な操作に、象牙のぶつかりあう乾いた音が感じられる」と評論家・アルベール・ティボーデが評したように、透徹した緊密な心理の組み立てで描かれており、その力学的で冷静な心理分析は、コンスタンの『アドルフ(フランス語版)』(1816年)に連なる作品とも言われている しかし『ドルジェル伯の舞踏会』の描写力は、単に従来の伝統的フランス心理小説的手法に見られるような、作者の視点が作中人物の誰かと一致して、その時々に都合よく説明しがちにはなっておらず、ラディゲの「知的な位置」は人物の誰とも一致せずに、常に人物たちの外側にあり、「人物の心の動きとは別に幾何学の軌跡のような線」を美しく描くような手法となっている点に違いがあり、この客観的視点の特色はドストエフスキーのような現代的小説の手法に似ており、ラディゲはそれを最も純粋な形に完成しようと試みていたとアルベール・ティボーデは評している。また、〈もし人間の感情に、理性の知らないような正しさがあったならば、理性の方が感情よりも無分別なものだと言わなければならない〉 というラディゲの自論が作品に反映されていて、そこにヒロイン・マオ・ドルジェルと『クレーヴの奥方』のヒロインとの人間的な違いが表れていると三島は説明している。
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