心理戦としての電波放送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:29 UTC 版)
「平良川通信所」の記事における「心理戦としての電波放送」の解説
沖縄戦で心理戦に一定の実績を積み上げた米軍は、朝鮮戦争が始まると、北朝鮮や中国、ソ連といった共産圏だけでなく、南側の韓国の住民に対しても活発な心理戦を展開した。1950年、GHQはNHKに心理戦ラジオ放送の中継を命じ、6月28日にはNHK第二放送で「マッカーサー司令部の声」を、また7月1日からNHK第一放送で、VOA「アメリカの声」 (Voice of America) の放送の中継を開始した。7月7日、「マッカーサー司令部の声」は VUNC「国連軍総司令部放送」或いは「国連軍の声」 (Voice of United Nations Command) と改名された。 米国の心理戦ラジオ放送は、米国務省が管轄するVOAと、米軍が発信するVUNCの2本立てであったが、1952年にGHQによる日本占領が終了することで、これらの放送施設の両方ともが、米国統治下の沖縄へと移転された。沖縄のVOA通信所は国頭村奥間と恩納村万座毛と北谷村浜川に設置され、一方、VUNCは、牧港補給地区(キャンプ・キンザー)内の米陸軍心理作戦部隊第7心理作戦部隊に継承され、極東地域の米陸軍による対共産圏プロパガンダ・宣撫活動を担った。退役軍人の証言によると、VUNCのスタジオは牧港補給地区内にあり、平良川通信所に録音テープが送られ、そこから中国、韓国、ベトナムへと発信されたという。 VUNC は実質的に米軍の心理戦略、プロパガンダ放送であり、「国連軍の声」という名を掲げながらも、実際には国連はVUNCの設立を承認しておらず、国連軍総司令部の指揮下にもないため、潜在的に大きな問題となる可能性があった。1972年の沖縄返還に先立ちVUNCは1971年6月30日に廃止され、土地は1974年4月30日に全返還された。また沖縄のVOA通信所はグアムに移転され、土地は1978年に全返還された。
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