御前埼灯台
御前埼灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] | 2495[1] [M6228] |
位置 | 北緯34度35分45.0秒 東経138度13分32.6秒 / 北緯34.595833度 東経138.225722度座標: 北緯34度35分45.0秒 東経138度13分32.6秒 / 北緯34.595833度 東経138.225722度 |
所在地 | 静岡県御前崎市御前崎1581 |
塗色・構造 | 白色、塔形、レンガ造[1] |
レンズ | 第3等大型フレネル式[1] |
灯質 | Fl W 10s(単閃白光 毎10秒に1閃光)[1] |
実効光度 | 56万カンデラ[1] cd |
光達距離 | 19.5海里(約36km)[1] |
明弧 | 221度から104度まで[1] |
塔高 | 22.47 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 54.00 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 | 1874年(明治7年)5月1日 |
管轄 |
海上保安庁 第三管区海上保安本部 清水海上保安部 |
区分 | 重要文化財(建造物) |
指定日 | 2021年8月2日 |
指定コード | 02724 |
御前埼灯台(おまえさきとうだい)は、静岡県御前崎市御前崎に立つ灯台。
概要
国の重要文化財[2]や、日本の近代化産業遺産に認定されており、日本の灯台50選にも選ばれている[3]ほか、歴史的・文化的価値の高さから、Aランクの保存灯台に指定されている。
なお地名は「御前崎(おまえざき)」だが、灯台名は「御前埼(おまえさき)」である。
歴史
昔から遠州灘は航海の難所でこの沖の岩礁で座礁、難破する船も多かった[4]。特に御前崎周辺は、黒潮と駿河湾の瀬流が激しくぶつかり合う上に、御前岩という東西150m、南北1,100mにもおよぶ暗礁群があり[5]、この中で大根・ドイ根・傘島・赤島などと呼ばれる露出岩が干潮時には波頭の間に時々見られる[5]など、昔から海の難所として船人に恐れられていた[2]。さらに御前岩の周辺はちょうど、名古屋港・清水港・四日市港を結ぶ重要航路の変針点に当たり、これまで海難事故が絶えなかった[5]。明治18年から昭和33年までの海難記録によると、150隻余の船が暗礁に乗り上げ多くの犠牲者を出している[5]。
1635年(寛永12年)現在御前埼灯台がある場所に高さ2.8mで3.6m四方の見尾火灯明台が作られた[2]。見尾火灯明台は海上から見える三面を油障子で囲み、中央に油灯を置いたというものだった[2]。
しかし1871年(明治4年)4月8日、江戸幕府が建造した軍艦が、岬の沖合のセイゴ根に座礁する事故が発生したため、明治政府は事態を重視して高さ5mの台に2.6mの八角形のガラス張りの灯室のある灯明台に改良し、灯明台専任の勤番を置き、下役5名を灯明堂近くの五軒長屋に住まわせるという対応を取った[2]。
1872年(明治5年)に、「灯台の父」と呼ばれる英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導のもとに工事が開始され、1874年(明治7年)5月1日に点灯を開始した[1]。その後、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月24日、艦載機と艦砲射撃によってレンズや灯器が破壊され、 灯塔も銃弾を浴びた[2]ため、戦災復旧工事が行われ、建設当初のレンガ造の灯塔を保ったまま美しい灯台に復元された[注 1]。
年表
- 1635年(寛永12年) - 見尾火灯明台だ作られる。
- 1871年(明治4年)4月8日 - 江戸幕府が建造した軍艦が座礁する事故が発生。
- 1872年(明治5年)5月26日 - 起工。
- 1874年(明治7年)5月1日 - 完成、初点灯[1][2]。
- 1917年(大正6年)8月23日 - 1,000W白熱電灯が使用される。
- 1928年(昭和3年)7月26日 - 貴族院書記官長の成瀬達、同書記官の長世吉、瀬古保次らが視察[6]。
- 1929年(昭和4年)5月12日 - 静岡巡覧中の賀陽宮恒憲王が御成、灯台局長の広幡忠隆侯爵が出迎えた[7]。
- 1945年(昭和20年)
- 1949年(昭和24年)3月24日 - 戦災復旧工事が完成。
- 1970年(昭和45年)6月25日 - 梅雨前線豪雨により灯台直下でがけ崩れが発生[9]。
- 1981年(昭和56年) - 無線方位信号所(レーマークビーコン)を設置。
- 1983年(昭和58年)1月〜3月 - 灯塔の補強工事を実施。
- 2009年(平成21年)2月6日 - 日本国近代化産業遺産に認定。
- 2021年(令和3年) - 灯台と旧官舎が重要文化財に指定。
構造
灯台の高さは、地上から塔頂までが22,47m[1]、平均海面から灯火までが54m[1]、地上から灯火までが17m[2]。白亜の塔形をしたレンガ造の大型灯台である[2]。
付属施設として、無線方位信号所(レーマークビーコン)と御前埼灯台資料館が設置されている。
観光

- 一般公開
- 一般公開されている参観灯台で、小学生以下は無料、中学生以上は300円の参観寄付金を支払うことで上まで登ることができ[2]、灯台上からは太平洋を一望することが出来る。周辺は御前崎遠州灘県立自然公園に指定されている。
- 灯台周辺
- 灯台周辺には御前崎グランドホテル、旅館潮見荘、民宿みつる、おまえざきユースホステルなどの宿泊施設がある。
交通アクセス
公共交通機関
車

登場する作品
- 映画『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年松竹作品・木下惠介監督)の舞台となり、ロケが行われた。
- テレビアニメ『大空魔竜ガイキング』(1976年東映動画・フジテレビ系)では大空魔竜戦隊の秘密基地とされている。ハチローは、灯台守の息子という設定。
- テレビアニメ『ゆるキャン△』では作中にて志摩リンが訪れる。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k “清水海上保安部管内の沿岸灯台”. 海上保安庁第三管区海上保安本部清水海上保安部. 2018年4月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “のぼれる灯台16 御前埼灯台(おまえさき)”. 燈光会. 2025年3月23日閲覧。
- ^ “あなたが選ぶ「日本の灯台50選」”. 燈光会. 2025年3月23日閲覧。
- ^ “見尾火燈明堂”. 静岡県文化・観光部文化政策課. 2018年4月6日閲覧。
- ^ a b c d e “灯台を支えてきた技術”. 株式会社フェイス. 2025年3月23日閲覧。
- ^ 『茶業界』第23巻第9号(静岡県茶業組合連合会議所、1928年8月)45頁。
- ^ 『茶業界』第24巻第6号(静岡県茶業組合連合会議所、1929年6月)12頁。
- ^ “運輸省告示第171号. 官報. 1945年12月03日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月19日閲覧。
- ^ 灯台もと危うし『朝日新聞』1970年(昭和45年)6月27日朝刊 12版 22面
- ^ “自主運行バス/御前崎市公式ホームページ”. 御前崎市. 2025年3月24日閲覧。
- ^ “御前埼灯台(omae saki toudai)/御前崎市公式ホームページ”. 御前崎市. 2025年3月23日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 御前埼灯台 御前崎市
- 御前崎灯台のページへのリンク