建設の経緯と役割とは? わかりやすく解説

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建設の経緯と役割

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:58 UTC 版)

三浦ダム」の記事における「建設の経緯と役割」の解説

三浦ダム貯水池広がる場所は、元は王滝村のうち「三浦平」と呼ばれる盆地であった。この盆地で「本谷」「五味沢」「水無瀬沢」「土浦沢」の4支流集まって王滝川となるが、三浦ダム盆地出口部分にあり、川の流れ堰き止めている。 三浦ダム建設計画したのは、大正・昭和戦前期木曽川電源開発手掛けた大手電力会社大同電力である。同社1932年昭和7年8月に、貯水池設置ならびに工事実施許認可得て1935年昭和10年10月起工式挙行した。この大同電力は、木曽川にて大井発電所など水力発電所相次いで建設していたが、これらは河川平水量(6か月流量前後使用水量とする関係上、渇水期には発電力が減退する。これを補うためには火力発電設備必須であった三浦ダム貯水池はこの欠点緩和すべく計画されたもので、豊水期の余水洪水渇水期向けて貯留する役割を担うものとされた。 工事にあたり電源として下流側木曽福島から28キロメートル工事送電線架設されセメント骨材運搬用には岐阜県側下呂から三浦まで14.8キロメートル索道架設された。また重量物や従業員など輸送には上松駅から伸びる既設森林鉄道活用された。1939年昭和14年4月未完成のまま工事日本発送電へと引き継がれるこの段階では堤体コンクリート打設作業始まったところであった工事電源送電線故障続出原因停滞したが、岐阜県側竹原川発電所から送電線架設するという電源二重化対策をとると円滑になり、1941年度には1日1,200立方メートル速さ打設作業進んだその結果工期予定より3か月短縮され三浦ダム1942年昭和17年10月8日湛水開始至った。 こうして完成した三浦ダムは、基礎岩盤上高さ(堤高)83.2メートル長さ堤頂長)290.0メートル体積堤体積)507,000立方メートル重力式コンクリートダムである。2門の洪水吐ゲート(ローラーゲート、元はラジアルゲート)が右岸にあるが、ダム大部分が非越流部で占められるダムによって形成される貯水池湛水面積は2.8平方キロメートルで、その総貯水容量は62215700立方メートル、うち利用水深47.0メートル以内有効貯水容量は6160立方メートルに及ぶ(数字2008年3月時点)。ダム付属して半円型の取水塔があり、ここに放水管2本・排水管1本と発電所水圧鉄管接続するダム運用は、毎年12月から発電行いつつ水位下げ始め翌年3月半ば水位を0メートルとし、そこから雪解け出水貯留していくというパターン行われる。こうして冬の渇水期放水することで、ダム建設時の計算では、最大水量(17.50立方メートル毎秒)の場合において下流発電所出力123,290キロワット年間発電換算で2億871キロワット時増強できるものとされた。

※この「建設の経緯と役割」の解説は、「三浦ダム」の解説の一部です。
「建設の経緯と役割」を含む「三浦ダム」の記事については、「三浦ダム」の概要を参照ください。

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