建設の経緯と所属の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 16:59 UTC 版)
「相浦発電所」の記事における「建設の経緯と所属の変遷」の解説
相浦発電所を建設した東邦電力は、戦前期における大手電力会社の一つで、九州では福岡県西部(福岡市・久留米市・大牟田市方面)から佐賀県・長崎県にかけて電気を供給していた。相浦発電所建設以前、重工業が起こり炭鉱業も盛んな長崎市・佐世保市方面への電源には名島火力発電所(福岡市)や嘉瀬川上流部の水力発電所群(佐賀県)があり、これらの発電所と長崎・佐世保を結ぶ送電線が整備されていた。 1932年(昭和7年)になると、長崎・佐世保方面の重工業・炭鉱業の興隆が主因となって東邦電力九州区域の電力需要は増加し始め、近い将来には想定以上の需要に達するものと予想されたことから、発電計画を上方修正する必要が生じた。配電の都合上、長距離送電するよりも需要地や産炭地に近い場所に石炭火力発電所を新設するのが有利と考えられたため、東邦電力では長崎県内の大村湾東海岸や松浦半島海岸部を調査し、佐世保市に近い相浦町棚方付近を適地と認めて発電所建設を決定、1936年(昭和11年)12月逓信省へ発電所新設許可を申請した。当時、逓信省では複数事業者による共同火力発電所でなければ新設を認めないという方針を打ち出していたが(九州では福岡県内の港発電所・戸畑発電所が共同火力として新設)、佐世保地区の特殊性に配慮して1937年(昭和12年)8月新設許可が下りた。 相浦発電所の工事は1937年12月12日より着手。1939年(昭和14年)12月22日に1号機が運転を開始し、次いで翌1940年(昭和15年)3月26日には2号機も運転を開始した。建設中の1939年4月に日本発送電が発足して電力国家管理体制がスタートしており、相浦発電所は運転開始と同時に、この日本発送電が運転・配給の指令をなし同社へ全発生電力を供給するという同社の管理発電所となった。2年後の1941年(昭和16年)10月1日、東邦電力から日本発送電へ出資され、正式に日本発送電所属の発電所となっている。 太平洋戦争後の1951年(昭和26年)5月1日、電気事業再編成によって九州電力へと引き継がれた。以後九州電力によって2019年4月まで運営が続けられていた。
※この「建設の経緯と所属の変遷」の解説は、「相浦発電所」の解説の一部です。
「建設の経緯と所属の変遷」を含む「相浦発電所」の記事については、「相浦発電所」の概要を参照ください。
- 建設の経緯と所属の変遷のページへのリンク