廃止表明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 17:28 UTC 版)
前述の社会実験の結果を受け、2004年(平成16年)に名鉄は岐阜市内線ならびに揖斐線・美濃町線・田神線、すなわち岐阜県内における架線電圧600Vの全路線について運営撤退を正式に表明、同年3月に軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を提出した。 名鉄の廃止表明を受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なった。継続に対して署名運動が行われ、岐阜市内線・揖斐線・美濃町線の周辺地域から、7万人強の署名が集まり提出されている。新聞などでは当時の岐阜市長・細江茂光はこの行動に対して「継続に対して前向きに検討する」と回答した、と報道されている。また沿線の自治会連絡協議会や沿線高校からも鉄道存続の陳情や要望がなされていた。これら要望を受ける形で岡山電気軌道(後に南海電気鉄道貴志川線を継承した和歌山電鐵設立に関連して、資金・運営両面において支援を行った実績を有する事業者)のほか、フランスからもコネックス(CONNEX - 現在のヴェオリア・トランスポール社)が支援検討を表明・打診した。 同年6月28日には岡山電気軌道より同社が運行会社となった場合の試算が発表された。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}その他、鉄道愛好家等が中心となって設立された存続活動団体[誰?]より運行存続ならびに黒字転換に関する提言がなされたものの[要出典]、これらの支援策はいずれも沿線自治体からの公的資金投入を前提としたものであったことなどから不調に終わり、同時期に椿洞の産廃不法投棄問題を抱え財政再建が至上課題であった岐阜市は利用客減少や財政難などを理由に公共交通へ財政支援はできないとして同年7月27日に存続断念を発表、岐阜市内線を含む架線電圧600Vの各路線は翌2005年(平成17年)4月1日付で全線廃止された。日本国内における路面電車の廃止は、2000年(平成12年)11月の西日本鉄道北九州線の以来のことであった。 なお、細江市長の資金管理団体「日本一元気な県都岐阜市を創る会」の代表者は岐阜バスの相談役(当時・元社長)を務める人物であり、路線存続には反対の立場を表明していた。また、岐阜バスには市側から補助金が毎年交付されていたという事情もあり、細江と同社ならびに同社相談役との関係が市内線存続断念に影響したのではないかと市議会において追及されている。細江は、岐阜バス相談役について「社長を退任しておられまして、まあ人格、識見も大変すぐれた方」と答弁した。 また、バス事業者の経営面でも、岐阜市内の岐阜バス・名鉄バス・市営バスのバス事業者3社で赤字額が年間で合計10億円を超えており、バス事業存続が危機的な状況という背景もあった。2002年(平成14年)12月20日には岐阜市がオムニバスタウンに指定され、バス運行の定時性・速達性等を高めるためバス交通基盤の整備・強化を図ることになったという背景もある。
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