幕末過渡期国家論から公議研究まで
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「明治維新」の記事における「幕末過渡期国家論から公議研究まで」の解説
維新政権の研究は原口清「戊辰戦争」(1963)や下山三郎「近代天皇制研究序説」(1976)によって本格的に着手された。宮地正人は、幕府、朝廷、諸藩の動向を総体的に捉えようとして幕末過渡期国家論を提唱し、それまで見落とされていた天皇、朝廷の動向を視野に入れ、斬新的な研究となった。これに続いて、原口清は国是(最高国家意志)樹立をめぐる諸勢力の運動・対立という視座を設定し、慶応3年の五箇条誓文を国是樹立運動の帰結とした。宮地や原口のダイナミックな関係史の研究によって、長州藩と会津藩のように政治状況によって「勝者」「敗者」が刻々と変わるなか、当時の政治家の個性が描き出されるようになり、その後の研究潮流の源流となった。 明治維新では幕府が廃止されると同時に摂関制度も廃止されるなど、天皇や朝廷の研究も重要であるが、戦前には皇国史観でタブー視され、戦後も戦前への忌避感から研究が遅れていた。井上勝生や藤田覚の研究によって、文久3年の八月十八日の政変の主役を孝明天皇とする見解などが提出され、武家に操られる天皇というイメージが一新され、以後の幕末維新期の天皇研究に大きな影響を与えた。 また、一橋徳川家の徳川慶喜、京都守護職・会津藩主の松平容保、京都所司代・桑名藩主松平定敬の三者により構成された一会桑勢力が重視され、従来の「幕府対薩長」という単純な図式に大きな変化がもたらされた。家近良樹の「幕末政治と倒幕運動」(1995)では、それまで「敗者」として悲劇的に捉えられがちだった会津藩の存在を高く評価した。宮地正人は、歴史ファンやマニアの研究対象出会った新選組が一会桑との役割から研究した。この他、久住真也「長州戦争と徳川将軍」(2005)では幕府の新仏派の研究も行われた。 開国研究としては、三谷博「ペリー来航」(2003)や荒野泰典「日本の対外関係7 近代化する日本」(2012)などで従来の「不平等条約」「鎖国」「開国」の見直しを再評価がなされている。 高橋秀直や、家近良樹の研究では、王政復古クーデタは倒幕を目指していなかったことが明らかにされ、また王政復古で成立した新政府は、天皇より公議原理が優位にたつ(天皇親政ではない)政府であったことが明らかにされた。三谷博も「維新史再考」(2017)で公議研究を進めた。 日本思想史研究の子安宣邦は、明治維新は民衆にとっては明治5年の徴兵告諭における兵役の義務であり、国民にさせられていく過程であり、畏怖すべき国家の現前だったと言う。
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