幕末過渡期国家論から公議研究までとは? わかりやすく解説

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幕末過渡期国家論から公議研究まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:04 UTC 版)

明治維新」の記事における「幕末過渡期国家論から公議研究まで」の解説

維新政権研究原口清戊辰戦争」(1963)や下山三郎近代天皇制研究序説」(1976)によって本格的に着手された。宮地正人は、幕府朝廷諸藩動向総体的に捉えようとして幕末過渡期国家論提唱しそれまで見落とされていた天皇朝廷動向視野入れ斬新的な研究となった。これに続いて原口清国是(最高国意志樹立をめぐる諸勢力運動対立という視座設定し慶応3年五箇誓文国是樹立運動の帰結とした。宮地原口ダイナミックな関係史研究によって、長州藩会津藩のように政治状況によって「勝者」「敗者」が刻々と変わるなか、当時政治家個性描き出されるようになり、その後の研究潮流源流となった明治維新では幕府廃止される同時に摂関制度廃止されるなど、天皇朝廷研究も重要であるが、戦前には皇国史観タブー視され、戦後戦前への忌避感から研究遅れていた。井上勝生藤田覚研究によって、文久3年八月十八日の政変主役孝明天皇とする見解など提出され武家操られる天皇というイメージ一新され以後幕末維新期天皇研究大きな影響与えたまた、一橋徳川家徳川慶喜京都守護職会津藩主の松平容保京都所司代桑名藩松平定敬三者により構成され一会桑勢力重視され従来の「幕府薩長」という単純な図式大きな変化もたらされた。家近良樹の「幕末政治倒幕運動」(1995)では、それまで敗者」として悲劇的に捉えられがちだった会津藩存在高く評価した宮地正人は、歴史ファンマニア研究対象出会った新選組一会桑との役割から研究したこの他久住真也長州戦争徳川将軍」(2005)では幕府新仏派の研究行われた開国研究としては、三谷博ペリー来航」(2003)や荒野泰典日本対外関係7 近代化する日本」(2012)などで従来の「不平等条約」「鎖国」「開国」の見直し再評価なされている。 高橋秀直や、家近良樹研究では、王政復古クーデタ倒幕目指していなかったことが明らかにされ、また王政復古成立した新政府は、天皇より公議原理優位にたつ(天皇親政ではない)政府であったことが明らかにされた。三谷博も「維新再考」(2017)で公議研究進めた日本思想史研究の子安宣邦は、明治維新民衆にとっては明治5年徴兵告諭における兵役義務であり、国民させられていく過程であり、畏怖すべき国家現前だったと言う

※この「幕末過渡期国家論から公議研究まで」の解説は、「明治維新」の解説の一部です。
「幕末過渡期国家論から公議研究まで」を含む「明治維新」の記事については、「明治維新」の概要を参照ください。

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