市民軍の意義と社会構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/22 07:44 UTC 版)
「ハンブルク市民軍」の記事における「市民軍の意義と社会構造」の解説
市民軍はハンブルクにおいて重要な要素の一つであった。それは一時、政治の場で侮れない役割を演じている。特に市民の諸権利の保証人であるという自意識は、市政の上で市民軍が担っていた重要な課題と相まって、政治的な決定に少なからず影響を及ぼした。 プロイセン軍と異なり、個人を社会の指導層の一員に押し上げたのは軍への所属ではない。ハンブルクで指導的な役割を演じた集団は商人であり、将校団において多数を占め、大隊単位で創設されていた数々の士官協会(Offiziersverein)で普段から連絡を取り合っていた 。士官はその権威を特定階級への帰属意識にではなく、厳密に市民的な意味で自身の業績、教育と説得力に求めたのである。市民軍士官の名誉は不可分であった。その規律は士官の完璧性にかかっていたので、将校の名誉毀損については勤務においても私生活においても差が設けられることがなかった。市民軍において、決闘は名誉回復の手段として認められていた。また同軍はある種の軍団精神(Corpsgeist)に支配されており、それはあらゆる面において逸脱者の排除を求めるものであった 。士官は時とともに、市民軍自体の柱石となったのである。彼らが士官協会で培った集団意識は、彼らが名誉に関して職業軍人と同様の考え方を担っていたことからしばしば明確となった。また商人としての信用が尊ばれ、破産に陥った者は士官の階級を失った。 将校団で多数を占めたのは、ハンブルクで指導的な遠距離貿易商の一団である。小市民層や下流層に属する者が市内で法的な地位を向上させたければ、自身の市民権を購入する必要があった。その条件を構成したのは市民軍への参加資格と、ハンブルク市民宣誓(de:Hamburger Bürgereid)の一部でもあった、市の防衛義務である。しかし、制服と装備の自弁は多大な出費となった。特に費用がかかったのは、騎兵の制服と装備である。士官の場合、制服の金属製の部分は全て鍍金されていた。制服の費用の差は、同時に市民軍の所属者の多くに昇進する機会の制限を設けることとなり、この義勇軍において社会的な区分を促進した。その一方で市民軍士官の制服は、裕福になったが旧来の商家の出身でないハンブルク市民に、彼らと競走する機会をもたらす。そのため議員のフェルディナント・レーイス(de:Ferdinand Laeisz)は市議会で市民軍の解散が討議された際、市民軍の信奉者の多くが「社会において享受している高い地位」は、市民軍に負うものであると述べた。 また、それ以外でも同義勇軍では砲兵科、猟兵科および騎兵科と、歩兵科との間に歴然とした差があった。さらに入隊志願者は選抜された。騎兵科の志願者は評判に非の打ち所がなく、「熟練した騎手」でなくてはいけない。また騎乗用の馬(貸与された馬や、牽引用の馬は禁止されていた)を所有し、トランペット手の装備費や馬の飼育費を分担する必要があった。「これらの彫像は、明確にしている。(中略)軍務を果たすため、義勇軍に採用される上で何が本当に重要であったのかを。それは充分な資金の所有である。」「騎兵科とは、負担の頂点を意味していた。」そのため騎兵科は主として商家の子弟で占められ、終いには「非常に豪華なウーラン用のチャプカ帽(Czapka)、サーベルとピストル2丁を伴う武装」および騎馬の負担に耐えられる112名しか残らなかった。
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