市場での失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/26 04:49 UTC 版)
しかし、パソコンとしてもゲーム機としても使い物にならない「マルチメディア機」の市場は、家電メーカー各社が期待したほどには大きくはならなかった。フィリップス・CD-iを筆頭に、3DO社/パナソニック・3DO(1993年)、パイオニア・レーザーアクティブ(1993年)など、CD-ROMをメディアとして採用した「マルチメディア機」を標榜するハードは全て商業的に失敗している。コモドール・CDTVも例に漏れず失敗した。 CDTVに固有の問題としては、AVファンに大きな知名度を誇るパソコンのAmigaシリーズの一機種であり、その中でも最大のヒット機種であるAmiga 500と同等のアーキテクチャを採用しながらも「Amiga」ブランドを採用せず別ラインのAV機器としての販売戦略を取ったことも、一般AVファンの関心を引かなかった一因であった。また、コモドールはアミガ専門誌でこのCDTVを盛んに宣伝したが、CDTVはAmiga 500にCD-ROMドライブを付けただけのハードであったことはAmigaユーザーには周知であったため、ほとんどのAmigaファンはわざわざCDTVを買うのではなくAmiga 500用CD-ROMドライブが出るのを待つ、という選択肢を取った。ほどなくAmigaユーザーの期待に答える形で、CDTV用ソフトにも対応したAmiga 500用CD-ROMドライブがAmiga A570という形でリリースされ、その時点でCDTVの存在意義は完全になくなった。CDTVの設計を見なおしたモデルであるCDTV-IIが計画されていたが出荷には至らず、最終的にコモドールは1993年に後継機のAmiga CD32を投入し、CDTVの販売を終了した。 CDTVの失敗から、後継機のAmiga CD32では対象ユーザーが曖昧な「マルチメディア機」ではなく明確にゲーマーを対象にした純然たる「ゲーム機」として、Amigaのブランドでリリースされた。また、Amiga CD32はAmiga 1200のハードを流用している点ではCDTVと同レベルだが、単にAmiga 1200にCD-ROMドライブを内蔵するだけではなく"Akiko Chip"を追加で搭載し、対応ソフトもCD32でしか動作できない設定とした。しかしPC/AT互換機市場の拡大と共にホビーパソコン市場が衰退する中Amigaの売れ行きも低下しており、経営が悪化していたコモドールはAmiga CD32のリリースから半年後に倒産した。
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市場での失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 00:12 UTC 版)
「Commodore CDTV」の記事における「市場での失敗」の解説
しかし、パソコンとしてもゲーム機としても使い物にならない「マルチメディア機」の市場は、家電メーカー各社が期待したほどには大きくはならなかった。フィリップス・CD-iを筆頭に、3DO社/パナソニック・3DO(1993年)、パイオニア・レーザーアクティブ(1993年)など、CD-ROMをメディアとして採用した「マルチメディア機」を標榜するハードは全て商業的に失敗している。コモドール・CDTVも例に漏れず失敗した。 CDTVに固有の問題としては、AVファンに大きな知名度を誇るパソコンのAmigaシリーズの一機種であり、その中でも最大のヒット機種であるAmiga 500と同等のアーキテクチャを採用しながらも「Amiga」ブランドを採用せず別ラインのAV機器としての販売戦略を取ったことも、一般AVファンの関心を引かなかった一因であった。また、コモドールはアミガ専門誌でこのCDTVを盛んに宣伝したが、CDTVはAmiga 500にCD-ROMドライブを付けただけのハードであったことはAmigaユーザーには周知であったため、ほとんどのAmigaファンはわざわざCDTVを買うのではなくAmiga 500用CD-ROMドライブが出るのを待つ、という選択肢を取った。ほどなくAmigaユーザーの期待に答える形で、CDTV用ソフトにも対応したAmiga 500用CD-ROMドライブがAmiga A570という形でリリースされ、その時点でCDTVの存在意義は完全になくなった。CDTVの設計を見なおしたモデルであるCDTV-IIが計画されていたが出荷には至らず、最終的にコモドールは1993年に後継機のAmiga CD32を投入し、CDTVの販売を終了した。 CDTVの失敗から、後継機のAmiga CD32では対象ユーザーが曖昧な「マルチメディア機」ではなく明確にゲーマーを対象にした純然たる「ゲーム機」として、Amigaのブランドでリリースされた。また、Amiga CD32はAmiga 1200のハードを流用している点ではCDTVと同レベルだが、単にAmiga 1200にCD-ROMドライブを内蔵するだけではなく"Akiko Chip"を追加で搭載し、対応ソフトもCD32でしか動作できない設定とした。しかしPC/AT互換機市場の拡大と共にホビーパソコン市場が衰退する中、ゲーム業界の市場でも後れを取っていたAmigaの売れ行きも低下しており、経営が悪化していたコモドールはAmiga CD32のリリースから半年後に倒産した。
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市場での失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:53 UTC 版)
「フェアバンクス・モース コンソリデーテッド・ライン」の記事における「市場での失敗」の解説
最初のオーダーはニューヨーク・セントラル鉄道(NYC)からであった。次いでロング・アイランド鉄道、ペンシルバニア鉄道(PRR)、ミルウォーキー鉄道(MILW)、ニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道(NH)が続いた。CLCへのオーダーは、カナダ太平洋鉄道(CPR)、CNRであった。 しかし、すぐに機械的な信頼性が低く、技術的なサポートが充実していないという問題が生じた。とくにウェスティングハウス製の発電用モーターを使った2400馬力の機関車に顕著であり、ピストンの寿命が短く、メンテナンスも非常に大変であるというものであった。それに加えて、各鉄道では、箱形車体のキャブ・ユニットタイプから、EMD GP7やアルコRS-3のようなロード・スイッチャータイプが好まれるようになってきていたという市場の嗜好の変化があった。 1952年までにアメリカでのオーダーはなくなった。それまでに製造されたのは99両であった。カナダ、とりわけCPRでの使用実績は比較的安定しており、発注は1955年まで続いた。カナダ向けに製造されたのは、各車種計66両であった。 1953年、ウェスチングハウスがフェアバンクス・モースの車両でのトラブルを一因として機関車事業から撤退すると発表し、フェアバンクス・モースはCライナーを製造し続けることが事実上不可能になり、また市場からの支持も失っていた。ニューヨーク・セントラル鉄道は、早くも1955年には搭載エンジンをEMD 567系エンジンに換装して使用していたほどであった。 それでも、フェアバンクス・モースは、トレインマスターやロードスイッチャータイプの車両の製造を続けた。しかし、これらもまた、市場には受け入れられず、機関車製造事業から撤退した。最後にアメリカで機関車を販売したのは1958年、メキシコに最後に輸出したのは1963年、1965年に併合したCLCが長期ストライキのあとでオンタリオ州キングストン工場を閉鎖したのは1969年であった。
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