市場での高騰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:30 UTC 版)
モネが経済的に苦労していた1870年代、彼の静物画が780フラン(31ポンド5シリング)で売れたという記録がある。1886年にニューヨークでの印象派展覧会が開かれてから、市場での評価は徐々に高まり、1890年代には100ポンド台に達した。1890年代末には、800ポンド台に達するものも出てきて、モネは富裕な大家としての地位を確立した。1918年、『ラ・ジャポネーズ』を画商が6,000ポンドで買い取ったのが、第二次世界大戦前の最高価格であった。ただ、ルノワールと比べるとずっと低い評価であった。 1950年代、スイスの美術館が晩年の『睡蓮』を展示したのを機に、モネの再評価(リヴァイヴァル)が始まった。モネ作品はさらに高騰し、1950年代末から、1万ポンド台に達するのが恒常的となった。1967年には、『サン=タドレスのテラス』が58万8,000ポンドで売れるなど、ルノワールと完全に並んだ。1983年には『睡蓮』が150万ポンド(5億6,052万円)で売れ、驚きをもたらしたが、1987年11月10日には別の『睡蓮』がニューヨークのクリスティーズで300万ドル(168万ポンド、4億620万円)で落札され、その翌日11月11日には、サザビーズで『花咲く庭』が530万ドル(7億1,842万円)で落札されるという高騰ぶりであった。さらに、1988年6月27日、ロンドンのクリスティーズで、『青い家、ザーンダム』の小品が350万ポンド(8億427万円)で落札され、その翌日6月28日には、サザビーズで『草原で』が1,300万ポンド(29億5,542万円)で落札され、衝撃を呼んだ。当時、ゴッホの『アイリス』『ひまわり』に次ぐ史上第3位の高価格記録となった。モネは同一構図を繰り返し描いた多作の画家であるが、投資市場の拡大によって名品が払底してきたことが、こうした急騰の原因と考えられる。 その後も1,000万ドル台が次々現れていたが、1998年6月30日、ロンドンのサザビーズで『睡蓮の池と水辺の小道』が1,800万ポンド(3,032万ドル、43億596万円)という史上最高金額を記録した。モネは、ルノワールをしのぎ、ゴッホ、ピカソに迫る市場での評価を得るに至っている。 2008年6月24日、ロンドンのクリスティーズで、晩年の『睡蓮の池』が4,100万ポンド(8,050万ドル、約87億円)を記録した。2016年11月16日には、ニューヨークのクリスティーズで、『積みわら』がさらに上回る8,140万ドルで落札され、市場での印象派の強さを見せつけた。
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