市場での苦戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 02:00 UTC 版)
「Atari 7800」の記事における「市場での苦戦」の解説
当時、家庭用ゲーム市場で成功するには、業務用ゲームの移植が重要であるとされてきており、Atari 2600がインテレビジョンといった他社製品に対して優位に立てたのもそのためだった。 Atari 7800開発時、任天堂の議論の的になるやり方のために、アーケードゲームの開発者たちに7800向けに移植してもらうのに苦労したといわれる。任天堂がゲーム業界を再活性化させた際、ゲームの開発者たちは「任天堂のハード向けソフトを作ってから2年間は、他社の競合するハード向けの移植を行わない」といった、厳しいルールをまもったうえでライセンス契約を任天堂と結ぶことで初めてファミコン用ソフトを作ることができるようになった。 任天堂が市場で成功したことにより、ソフト開発会社はファミコン向けのソフトの制作を優先させ、2年間は他社ハード向けの移植を行わないというルールを守った。その結果として7800やセガ・マスターシステムのソフトのラインナップは大きな損害を被った。 ファミコン用ソフトの中には、別のアーケードゲームの開発元から許諾を得たうえで製造されたところもあった。ファミコン用ソフトの製造元は他社機種への移植が制限されているが、元のアーケードゲームの開発者は複数の機種への移植が禁止されているわけではなかった。この盲点を利用し、7800版『マリオブラザーズ』、『ダブルドラゴン』、『戦場の狼』、『Rampage』, 『Xenophobe』、『怒』、『スパルタンX』の許諾が取れ、開発に至った。 ソフトウェア会社はファミコン用ソフトを開発する際任天堂と独占的協定をしていたため、Atari 7800用ソフトを開発するサードパーティーの会社は少数派だった。11のソフトが開発・販売され、Absolute Entertainment, アクティビジョン、 Froggoの3社は自社ブランドとして8つのソフトを発売し、残りはアタリが外注し、アタリのゲームソフトとして売り出された。
※この「市場での苦戦」の解説は、「Atari 7800」の解説の一部です。
「市場での苦戦」を含む「Atari 7800」の記事については、「Atari 7800」の概要を参照ください。
- 市場での苦戦のページへのリンク