崇福寺の歴史とは? わかりやすく解説

崇福寺の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 14:43 UTC 版)

崇福寺跡」の記事における「崇福寺の歴史」の解説

扶桑略記』には「天智天皇6年667年2月天智天皇夢に法師現れて、宮の北西山中霊窟があるので外に出て見るようにといって消えた起きてその方角を見ると山中輝いており、翌日に人を遣ると夢の通り霊窟みつかった。(中略)そこで天智天皇翌年1月寺院創建した」との縁起記されている。縁起は「整地をすると、高さ1.6mほどの奇妙な宝鐸掘り出された」と続く。この記述最古銅鐸出土記録とする説もあるが、瑞祥記事一種で後の脚色とする説もある。 崇福寺造立理由について『扶桑略記』には「奉為二恩」とあり、両親である舒明天皇斉明天皇への追善意識想定されるが、『延暦僧録』には「奉為三天読経礼仏」とあり、その三天皇が誰を指すのかは定かではない。また『扶桑略記』『延暦僧録』の記述からは天智天皇弥勒信仰伺える。なお『延暦僧録』には「天智天皇指を切り落とし燈籠納めた」と記されている。事の真偽不明であるが『今昔物語集』にも引かれる古事であることから、それなりに信じられていたと考えられる前述のように崇福寺創建天智天皇7年668年)であると一般に知られている。しかし『扶桑略記』に「建崇福寺。始令平地。」とあるようこの年造成着工を示すもので完成はずっと後になると考えられている。一般に古代寺院造営長時間要し法興寺金堂完成まで18年栗原寺は塔の完成まで21年要しており、崇福寺造成山寺という特殊性壬申の乱混乱もあり困難を伴っていたと考えられている。肥後は『崇福寺綵錦寶幢記』の「辛未之年、勅旨詳矣」の記述により完成天智天皇10年671年)とするが、櫻井3年足らず完成するとは思えないとし、『公事根源』に「天智天皇国忌崇福寺にて行われる朱鳥2年687年)より始まる」とあることから、この頃までに金堂などの建立終わっていたと推測している。 また持統天皇3年689年)に逝去し草壁皇子追善法会が行われた可能性後述する推測などにより、持統天皇が父天智天皇勅願寺である崇福寺庇護したという説がある。その後『続日本紀』によると大宝元年701年)に「近江志我山寺封。起庚子年(700年)計満三十年」と定められる大宝禄令では寺封5年とするのと比べて例外的な優遇処置受けたと言えるこうした厚遇について櫻井は、同時期に山科陵の造営天智天皇命日国忌定めた事と合わせて天智天皇追善意識高揚する目的があったと推測している。その寺封満了前である天平元年729年)には「紫郷山寺者入官寺之例」とあり、官寺として朝廷庇護引き続き受けた考えられる天喜5年1057年)の崇福寺再興の折に崇福寺別当務めた大僧正明尊が後に園城寺長吏になったことを先鞭に、園城寺高僧崇福寺別当補される記録散見されこの頃から園城寺関係性強くなった事が伺える。長寛元年1163年)には延暦寺園城寺抗争巻き込まれて、崇福寺梵釈寺類焼する記録がある。これも含めて創建から平安末期に至るまでに5回の罹災記録されており再興もされたようだが、これにより崇福寺荒廃していったと考えられる寛喜2年1230年)の勅により崇福寺園城寺中北両院付属させられた。この頃中北両院園城寺南院激しく争って互い堂宇焼き討ちするなどして荒廃しており、崇福寺中北両院付属させたのはその復興のためであった考えられる。また鎌倉末期成立の『延暦寺護国縁起』には「崇福寺往時面影はその跡に無く」とあり、この頃までに崇福寺崇福寺跡から場所を移していたと考えられる永和3年1377年)の文書法勝寺再興助成する目的毎年料足納める寺院中に崇福寺の名がみえる。他の寺院比べて多いことからある程度の寺勢を保っていたと思われる。また西教寺に伝わる『刀八毘沙門祭文』の奥書寛正5年1464年)に崇福寺書写したと書かれており、この頃まで法灯保っていたことが確認できる

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