酒井忠温 (伊勢崎藩主)とは? わかりやすく解説

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酒井忠温 (伊勢崎藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/03 13:37 UTC 版)

 
酒井忠温
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 元文2年5月1日1737年5月30日
死没 寛政13年1月5日1801年2月17日
改名 三郎助(幼名)→忠温
別名 牛眠(号)
戒名 嶌高院殿放山宗魯大居士
墓所 東京都葛飾区高砂町の崇福寺
官位 従五位下駿河守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
上野伊勢崎藩
氏族 雅楽頭酒井家
父母 父:酒井忠恭、母:石原氏
養父:酒井忠告
兄弟 忠仰忠得忠宜忠温
正室:酒井忠儔の娘(酒井忠告の養女)
長男、忠哲、高力直忠、忠意、忠輔、
娘(村越成庸室)、娘(内藤信義正室)
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酒井 忠温(さかい ただはる)は、江戸時代中期から後期の大名上野伊勢崎藩の第3代藩主。雅楽頭系酒井家支流3代。

元文2年(1737年)5月1日、上野前橋藩主・酒井忠恭の四男として生まれる。伊勢崎藩主酒井忠告の嫡子だった忠儔(ただとも)が早世したため、宝暦元年(1751年)に養子となって叙任する。宝暦13年(1763年)6月27日に忠告の隠居により、家督を継いだ。また、忠儔の娘を正室とした。

天明3年(1783年)に起きた浅間山天明大噴火で大被害を受け、藩財政が破綻寸前となったが、関当義(關助之丞當義[注釈 1])を家老に登用し[3]。、その経費節減政策などで財政再建に成功している。また、藩校・学習堂を創設する[注釈 2][5][6]などして文治の発展に尽くし、藩政改革に成功を収めた。

天明7年(1787年)3月9日、次男の忠哲に家督を譲って隠居し、寛政13年(1801年)1月5日に死去。享年65。

系譜

父母

正室

側室

  • 鈴木氏

子女

  • (長男)
  • 酒井忠哲(次男)生母は鈴木氏(側室)
  • 高力直忠
  • 酒井忠意
  • 酒井忠輔
  • 村越成庸室
  • 内藤信義正室

脚注

注釈

  1. ^ 関当義(せき まさよし)は享保18年生まれ(1733年)、文化元年没(1804年)。子息の関重嶷(しげたか)は『伊勢崎風土記』(1798年[1])の著者[2]
  2. ^ 学習堂の授業時間は午前7時-10時の3時間で、2と、7の付く日には夜会も開催されたが、午後2時から5時までとした。休業日は3と8の付く日であった[4]

出典

  1. ^ 澤口 宏(調査者)「前橋台地の利根川」『良好な自然環境を有する地域 学術調査報告書』40号、群馬県立自然史博物館、2014年11月、115頁、2021年8月25日閲覧 
  2. ^ 53 文化財名「関當義・重嶷父子の墓」(せきまさよししげたかふしのはか)”. 伊勢崎市の文化財と石碑. 2021年8月25日閲覧。
  3. ^ 関当義・重嶷父子の墓”. www.city.isesaki.lg.jp. 伊勢崎市. 2021年8月25日閲覧。
  4. ^ 五十嵐 1985, p. 114.
  5. ^ 「第七節 藩校 §二 学習堂」『伊勢崎市史 資料編 1 (近世 1 伊勢崎藩と旗本)』伊勢崎市(編)、1988年、235頁-。コマ番号0128.jp2-、全国書誌番号:89013877doi:10.11501/9644321、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  6. ^ 須長泰一「研究 村士玉水について--伊勢崎藩学習堂の学問支柱」『群馬文化』第212号、群馬県地域文化研究協議会(編)、1987年10月、1-11頁。コマ番号0002.jp2-、全国書誌番号:00006239doi:10.11501/6048198、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。

参考文献

  • 五十嵐富夫「伊勢崎藩の藩学と学習堂」『図説 伊勢崎・佐波の歴史』あかぎ出版〈群馬県の歴史 シリーズ5〉、1985年、114頁。 doi:10.11501/9643587、コマ番号0068.jp2、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。

関連項目

関連資料

關助之丞當義(せき すけのじょう まさよし)

  • 渡辺敦「抜刷」『伊勢崎風土記』『風土記編2』群馬県文化事業振興会(編)〈群馬県史料集第2巻〉、1967年、3-5頁。全国書誌番号:73002767doi:10.11501/2987968、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  • 濱口富士雄「一 政治・社会関係の漢文碑 §六、 関当義墓誌(伊勢崎)」『群馬の漢文碑(續)』東豊書店、2012年、13頁。全国書誌番号:22200833

学習堂

  • 豊國覺堂「伊勢崎の学習堂に就て」『上毛及上毛人』第205号、上毛郷土史研究会(編)、1934年5月、64-65頁。コマ番号0035.jp2、全国書誌番号:00031676doi:10.11501/3567395、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  • 樋口千代松、今村勝一(共編)「附録追加 学習堂」『上野志料集成 1』臨川書店、1973年、398頁。コマ番号0212.jp2、全国書誌番号:73010860doi:10.11501/9640449、国立国会図書館内公開。『上野志』『上州故城塁記』『上毛国風土記』『伊勢崎風土記』。
  • 渡辺敦「伊勢崎藩の学習堂」『伊勢崎市の今と昔』伊勢崎郷土文化協会〈郷土シリーズ ; 別巻 3〉、1975年、61頁。コマ番号0033.jp2、全国書誌番号:73012898doi:10.11501/9640545、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。

外部リンク

  • 崇福寺の歴史 伊勢崎藩酒井家の墓所。関東大震災で被災し、浅草から高砂に移転(1928年)



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