酒井忠儔
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳5年(1715年) |
死没 | 寛延3年7月30日(1750年8月31日) |
官位 | 従五位下近江守 |
藩 | 上野伊勢崎藩世嗣 |
氏族 | 酒井氏(雅楽頭家) |
父母 | 酒井忠告、牧野英成娘 |
兄弟 | 忠儔、次男、女子 |
妻 | 三浦義理娘 |
子 | 忠増、酒井忠告養女 |
酒井 忠儔(さかい ただとも)は、江戸時代中期の上野国伊勢崎藩の世嗣。官位は従五位下・近江守。
略歴
正徳5年(1715年)、伊勢崎藩2代藩主・酒井忠告の長男として誕生。母は牧野英成の娘。正室は三浦義理の娘。子は酒井忠増、酒井忠告養女(酒井忠温正室)。
享保13年(1728年)徳川吉宗に初御目見したが、叙任したのは延享4年(1747年)だった。就封前の寛延3年(1750年)に死去した。このため、雅楽頭系酒井家本家から忠温が父・忠告の養子となって伊勢崎藩嫡子の座に就き、忠儔の娘を正室に迎えた。
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