三浦矩次とは? わかりやすく解説

三浦矩次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/17 07:29 UTC 版)

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三浦矩次
時代 江戸時代中期
生誕 延享4年4月25日1747年6月2日
死没 安永9年3月21日1780年4月25日
改名 鋼之助(幼名)、矩次
戒名 竜徳院殿深誉智海海底大居士
墓所 東京都府中市紅葉丘の誓願寺
官位 従五位下備後守志摩守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
美作勝山藩
氏族 三浦氏
父母 三浦義理、富永氏
三浦明次
兄弟 矩次酒井忠儔正室
松平乗祐
毗次前次
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三浦 矩次(みうら のりつぐ)は、江戸時代中期の大名美作国勝山藩2代藩主。官位従五位下備後守志摩守。美作勝山藩三浦家7代。

生涯

三河国西尾藩主・三浦義理(勝山藩三浦家5代)の長男として誕生。母は富永氏。

宝暦12年(1762年)9月1日、義理の養子として三浦家を継いでいた三浦明次(義理の甥、勝山藩初代藩主)の養嗣子となる。安永元年(1772年)に明次が隠居したため、家督を継いで勝山藩主となる。藩政では領内整備に尽力する一方で、漢詩を好んで詩集『山水閑音』上下2巻を編纂するという教養に溢れた文化人だった。

安永9年(1780年)3月21日、34歳で死去する。明次の実子で矩次の養子となっていた前次が跡を継いだ。

系譜

美作勝山藩主三浦家を実系で示せば以下のとおり。

三浦明敬
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明喬
 
 
 
義理
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明次1
 
 
 
矩次2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
前次3
 
 
 
毗次4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
誠次5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
峻次6義次7弘次9
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朗次8顕次10
  • 実線は実子、点線は養子を示す。
  • すべての人物を掲載してはおらず、また兄弟・姉妹の順に配列してはいない。
  • 数字は美作勝山藩主の代数を示す。

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