崇福寺文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 22:28 UTC 版)
崇福寺は横岳山ともいい、九州大宰府にあった臨済禅の道場で、大応国師はここに於いて多くの門弟を養成した。峰翁祖一はこゝで入門してその法嗣となったが、師の没後同寺に出世した。其後峰翁の門下もこれに出世した。 勅賜正宗大暁禅師住横岳山万年崇福寺語録 門人宗雲等編 峰翁禅師行実 時宗胞弟廿四才出家、顕日高峰につく。後大応に学ぶ。晩美濃之明覚山大円寺に入る。法席丕盛。建武丁丑秋九月廿一日忽有微恙、入寂、老衲九十八。
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