崇神天皇紀・崇神天皇記とは? わかりやすく解説

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崇神天皇紀・崇神天皇記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 00:19 UTC 版)

玉櫛媛」の記事における「崇神天皇紀・崇神天皇記」の解説

『日本書紀』崇神天皇によれば茅渟陶邑にいた大田田根子天皇が「汝は其れ誰が子ぞ。」と問うたところ、大田田根子は 「父をば大物主大神と曰。母をば活玉依媛と曰。陶津耳の女なり(亦は云う、奇日方天日方、武茅渟祇の女なり)。」 と言ったという。 『古事記』崇神天皇によれば河内の美努にいた意富多多泥古天皇が「汝は誰が子ぞ。」と問うたところ、意富多多泥古は 「僕は大物主大神陶津耳命の女活玉依毘売を娶りて生みませる子、名は櫛御方命の子、飯肩巣見命の子、建甕の子、僕意富多多泥古と言ったという。 また、『古事記』には次のように書かれている。 「此の意富多多泥古人と謂うを、神の子知れる所以は、上に云える活玉依毘売其れ容姿端正是に壮夫有りて、其の形姿威儀時に無し夜半の時、倏忽到来す。故相感でて、共婚供住の間、未だ幾時を経ず其の美人妊身す。爾(ここ)に父母其の妊身の事を怪しみて、其の女に問い曰く、『汝は自ずから妊めり。夫無きに、何の由にか妊身(はら)みぬ。』ととえば、答えて曰く、『麗美(うるわ)しき壮夫有り其の姓名知らず。夕毎に到来し、供住の間に、自然(おのず)から懷妊(はら)みぬ。』という。是を以て其の父母其の人知らん欲して其の女に誨えて曰く、『赤土を以て床の前に散らし、へその紡麻を以て針に貫きて、其の衣の襴(すそ)に刺せ。』とおしう。故教の如くして旦時に見れば、針に著けたる麻は、戸の鉤穴より控き通り出で、唯遺れる麻は三勾のみなりき。爾(かれ)即ち鉤穴より出でし状を知りて、糸の從(まにま)に尋ね行きしかば、美和山至りて、神の社に留りき。故其の神の子なりとは知りぬ。故其の麻の三勾(みわ)遺れるに因りて其の地を名づけ美和謂うなり。〈此の意富多多泥古の命は、神君君の祖なり。〉」

※この「崇神天皇紀・崇神天皇記」の解説は、「玉櫛媛」の解説の一部です。
「崇神天皇紀・崇神天皇記」を含む「玉櫛媛」の記事については、「玉櫛媛」の概要を参照ください。

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