就任当初、低迷していた学園を立て直すために行われた改革
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「学校法人郁文館夢学園」の記事における「就任当初、低迷していた学園を立て直すために行われた改革」の解説
渡邉美樹が理事長に就任した際、以下の事項を実施した。 <就任時に職員に対し実施した事項> 生徒と向き合うときの心構えと、生徒の夢に伴走する心意気を説く目的で、全職員に対し「私たちの学校経営は先生が生徒のために死ねる経営です。その経営についてこられない人はどうぞやめてください」と話、理念集などによりプライベートな時間はなく、子どものために24時間365日、全身全霊捧げること求めた。 教師の携帯電話番号を生徒に教えさせ、「365日24時間電話していい」と伝えるよう指示。 <就任時に生徒に対し実施した事項> 本来は退学処分となる者を、投げ出さず何とか面倒を見ていきたいという思いで、校内又は登下校時に携帯電話を使用した、教師への暴言又は暴力、他生徒へのいじめ、法を犯した、またはそれに準じた行為をした生徒には400字詰め原稿用紙100枚の反省文を書かせ、提出するまでは授業を受けさせない方針とした。 <就任時のその地学園施設の改革> 1992年(平成4年)10月に長野県小県郡東部町(現・東御市)に完成した「奈良原研修センター」の負債が深刻で渡邉美樹が改革に乗り出した時点で28億円も存在した。この研修センターはバブル期に建設されたもので、東京都には研修施設と申請しておきながら実際には「ホテルハイランドアカデミー奈良原」という名前でホテル営業も行っていた。「ホテルハイランドアカデミー奈良原」営業当時の写真 改革初期に渡邉が視察に向かったところ学生が使用する施設とされながらも豪華なバーラウンジに高級ワインやウイスキーが並んでいたり、客室のベッドは1台数十万円の高級品を使ったり、輸入物の調度品が所狭しと並んでおり明らかに「研修施設」の様子では無かった。 もともと予算10億円で計画していたものを前理事が「どうせ作るなら一流のものに」という考え方で50億円まで建設費が膨れ上がり、さらにはホテルの稼働率を東京都心の一流ホテル超えの70%と想定しているなど計画の雑さが祟り結局1993年(平成5年)1月に開業したところ稼動率が10%程度で、虚偽申請している以上大々的な営業はできず10億円かかる維持費に対して売り上げが年間1億7000万円となり大赤字で法人の経営を悪化させる一因となった。 自治体に申請しなければいけない営利活動を虚偽報告で営業していた事は都の知るところになり「売却するか、もしくは収益事業として改めて申請して賃貸にするか」の判断を迫られ「ホテルハイランドアカデミー奈良原」を賃貸にする方向で調整が進んでいた。しかし買い手が見つからず、ホテル時代の豪華な設備を残したまま生徒たちの林間学校の会場として使われていたが、不良資産として学園の経営を悪化させる一因となった。 渡邉は就任1年目にして個人保証で30億円の資金を借り入れ不良債務を返済することに成功した他、渡邉が推進する「夢教育」の一環として行う「夢合宿」会場として行うため勉強に必要のない設備を売却し長期間放置されていた部分を3000万円で改修。その他60人しか収容できなかった客室に2段ベッドなどを入れて7人まで宿泊可能にし収容人数200人を確保しホテル時代の面影を完全に消し去った。2004年(平成16年)2月から始まった改修は2004年(平成16年)4月に終了し、新入生を迎えて最初の「夢合宿」が行われることになった。 この改革実行により職員の人件費を7割ほどに削減、30名の教師は退職し、14人の生徒が退学となった。また3年ほどで郁文館夢学園への志願者数は3分の1ほどに減少することとなり、渡邉美樹就任以前の勢いを失ったと評されている。
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