小学館漫画賞を受賞とは? わかりやすく解説

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小学館漫画賞を受賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:04 UTC 版)

竹宮惠子」の記事における「小学館漫画賞を受賞」の解説

稲垣足穂などを研究して耽美的なものが受ける」とも思っていた。当時少女漫画男女間の恋愛だけ描くよう求められており、『風と木の詩』のアイデア50ページ描いたクロッキー帳編集者たちに見せて否定的な反応だった。『週刊少女コミック』の新担当者から好きなテーマ作品を書くには、読者アンケートトップを取ることだとアドバイスされ1974年には『ファラオの墓』を描いてヒットさせ、アンケートで最高時2位になる。スランプいつの間に消えていたという。この作品で、戦闘シーンなど知識不足する部分は、編集者通じて社費脚本家などにアドバイスアイデアをもらう「ブレーン手法」を知り活用する単行本第1巻発売時に、初のサイン会デパート屋上開催し自分やることになるとは思っていず戸惑う増山から普通の服はダメだとパーティドレスを推奨され抵抗するが、妥協してメアリー・ポピンズドレス帽子姿となった。3,000人が集まり以後サイン会レースフリルドレス通例となってしまう。 『ファラオの墓』のヒットで『週刊少女コミック』の企画会議通り7年間にわたる念願構想実現して1976年に『風と木の詩』の連載を開始漫画家辞めることも覚悟して挑んだ風と木の詩』はファンから好評で、寺山修司鶴見俊輔といった文化人鶴見から紹介され心理学者河合隼雄らが高く評価したこともあり、ジャンルとして定着する転機となった。これを、今まで少女漫画レベル超えた小さな革命自負し少年同性愛耽美的描き漫画界衝撃与えた。しかし当初は「BLボーイズラブ)の元祖」と称されるのを嫌っていたが、BL作家増えBL大きなジャンルとして成功する従いBL元祖としての位置受け入れようになった1977年、『月刊マンガ少年』にて『地球へ…』の連載を開始SF少年漫画描きたいという思い以前からあった。同年萩尾望都も、少年誌同様に連載していたが、少女漫画家少年漫画誌連載を持つことは当時としては画期的であった。翌1978年、『地球へ…』は第9回星雲賞コミック部門受賞した1979年、初の自宅建てる1988年には神奈川県鎌倉市転居する1980年、『風と木の詩』『地球へ…』で、第25回小学館漫画賞を受賞。同年、『地球へ…』が東映によってアニメ映画化された。この映画キャンペーンの時から、マネジメント必要性から妹がマネージャーとなる。 『扉はひらく いつまでも』に収録の「竹宮惠子略年譜」によれば1980年戸籍名の「惠子」へ改名したとある。なお、1980年代に「竹宮恵子」から「竹宮惠子」へ改名したが、その時期については特定されていない1982年両性体の架空の国王子主人公とする初のファンタジー漫画イズァローン伝説』の連載を開始するが、途中で読者価値観リアル重視になりつつある、絵柄これまでの作品含めて距離があると感じ始めた1987年編集者示唆もあり終了する19世紀末欧州舞台の『風と木の詩』も、編集者から「どこで終わりますか」と尋ねられて、世間との差から「終わるべきなんだな」と感じた1984年連載終了)。現実にどう生きてゆくかが大事な時代だと、『>5:00アフターファイブREVOLUTION』をチェッカーズデビューまでヒント青春物を描く。ただし、年来ファンには受けなかった。 1980年代半ば増山法恵20歳から15年務めていた竹宮惠子プロダクションプロデューサーディレクター辞めて独立した

※この「小学館漫画賞を受賞」の解説は、「竹宮惠子」の解説の一部です。
「小学館漫画賞を受賞」を含む「竹宮惠子」の記事については、「竹宮惠子」の概要を参照ください。

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