実行犯の拘束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:06 UTC 版)
事件直前、バグダードで搭乗して経由地のアブダビ空港で降機した乗客は15人いたが、その中に東アジア系の男女が1人ずついた。この2名は、日本のパスポートを持っており、30日午後にバーレーンのバーレーン国際空港にガルフ航空機で移動し、同国の首都マナーマのホテルに宿泊していた。旅券名義は「蜂谷真一(はちや しんいち)」と「蜂谷真由美(はちや まゆみ)」であった。2人は「父親」と「娘」の関係だとされた。韓国側も搭乗名簿から、この「日本国旅券」を持つ2人の男女が事件に関与したと疑っており、当地の韓国大使館代理大使がその日の夜に接触していた。 一方、事件直前の1987年11月21日、偽造パスポートを所持していた罪により東京で逮捕された日本赤軍の丸岡修は、翌年にせまったソウルオリンピックを妨害するためにソウル行きを計画していたことが明らかになっており、中東を本拠地とする日本赤軍の事件への関与が疑われていた。そのため大韓民国国家安全企画部は、早い時点で2人をマークしていた。日本政府は「左翼日本人による反韓テロ事件」を懸念していた。だが、在バーレーン日本大使館が入国記録を調べたところ、航空券の英文の「姓」が抜けていたため違和感を覚え、女の旅券番号を日本の外務省に照会したところ、徳島市在住の男性に交付されたパスポートと同一であることが判明、偽造であると確認した。 「蜂谷真一」と「蜂谷真由美」の2名は、バーレーンの空港でローマ行きの飛行機に乗り換えようとしていたため、日本大使館員がバーレーンの警察官とともに駆け付け、出国するのを押し留めた。日本大使館に身柄拘束権が無かったため、同国の入管管理局に通報し、警察官に引き渡した。空港内で事情聴取しようとした時、男は煙草を吸うふりをして、口の中に忍ばせていた青酸カリ入りのカプセルを噛み砕いて服毒自殺した。現場に居た日本人外交官、砂川昌順によれば、女はマールボロに隠された青酸系毒薬のアンプルを警察官から奪い取り自殺を図ったが、すぐに警察官が飛びかかり直ちに吐き出させたため、完全に噛み砕けず青酸ガスで気を失って倒れただけに留まり、意識不明ではあるが一命はとりとめたとされている。しかしながら、現地警察の調査や救急救命士の証言では、実際には女のカプセルは嚙み砕かれておらず傷はほとんどない状態で、女は搬送される救急車内で逃げ出そうと激しく抵抗するなど意識ははっきりとしていたが、病院に到着すると一転して意識不明であるかのように装っていたとされている。 「蜂谷真由美」名義の女は一命を取りとめた。一方、自殺した男が所持していたパスポートの名義の男性は東京都在住の実在する人物であった。彼は「宮本明(みやもと あきら)」を名乗る男の全額費用持ちでフィリピンのマニラとタイのバンコクに1983年(昭和58年)秋に旅行したが、その翌年、「宮本」にパスポートと実印を1か月ほど貸していたことが判明した。「宮本」を名乗った男性は、西新井事件(日本人2名の戸籍を乗っ取り、拉致事件などにも利用した北朝鮮工作員・チェ・スンチョルを日本警察が摘発した事件)にも関係していた在日朝鮮人の補助工作員、李京雨であった。パスポートが偽造されたものであることが明確になるにつれ、事件への北朝鮮の関与が疑われるようになった。また、自殺した男が所持していた日本製の煙草の製造年月は4年前の「(昭和)58年4月」となっており、既に3年前には全品売り切れであったうえに賞味期限も過ぎていたため、李京雨が逮捕前に作った「小道具」の可能性が高いと判断された。 当初、偽造パスポートが日本人名義であり、日本政府もバーレーン側に捜査協力を求めていたが、パスポート偽造は日本国内法の「旅券法違反ないし偽造公文書行使」には該当するが、韓国側が被った航空機爆破という大量殺人テロの重大性と比較して、身柄引き渡しを受けるほどの強い法的根拠がないと判断され、身柄引き渡し請求権を放棄した。韓国への引き渡しを認めるこの判断は、当時の内閣安全保障室長である佐々淳行によれば、在バーレーン日本大使館員の判断ではなく、佐々の意見具申に基づいた「総理大臣官邸判断」であった。なおモントリオール条約では、航空機上で発生した事件の裁判権は、旗国主義により、航空機が登録されていた国家(この事件の場合は韓国)にある。
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