大院君の執政
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「明成皇后 (テレビドラマ)」の記事における「大院君の執政」の解説
朝鮮王朝末期の1863年に第26代国王になった高宗(コジョン)は、後に大韓帝国皇帝を称し1907年まで日本統治時代前の朝鮮国王の座にいた人物であるが、国王に即位したときはまだ13歳で、高宗の実父である大院君(テウォングン)が権力を握る。大院君は、高宗が即位するまで約60年間にわたった安東金氏の勢道政治の弊害を取り除き、神貞王后趙氏による垂簾聴政を廃す一方、文禄・慶長の役で焼失した後270年間にわたって再建されないままになっていた王宮である景福宮を再建して王室の威信を回復させようとするが、工事費用が財政を圧迫し、庶民は工事に動員され、両班は寄付を求められ、工事途中で火事が起き、さらに工事費用がかさむなどしたため、大院君の執権に対する不満が大きくなる。 大院君は高宗の王妃選考に際しても神貞王后趙氏や安東金氏の影響力を断ち、大院君夫人の一族である驪興閔氏で故人である閔致禄の娘16歳のジャヨン(後に明成皇后と称される)を王妃とした。しかし15歳の高宗はすでに年上の宮女である李尚宮(朝鮮語版)(イサングン)のとりこになっていて、ジャヨンは一晩中読書をして孤独を慰める日々を送る。高宗の寵愛を受ける李尚宮は懐妊し、完和君(朝鮮語版)(1868年 - 1880年)を出産する。 第11回 景福宮の再建工事が完成する。 第12回 国王の一族にもかかわらず零落していた興宣君(のちの大院君)が息子を王位につけるまでの回想。 第13回、第15回 1868年。大院君が完和君を高宗の嫡子にしようとする。 第14回 1868年。閔妃が高宗と初めて同衾する。 第16回、第17回 1871年。閔妃が懐妊する。 第18回 1871年、朝鮮が対米軍事衝突に勝利する(辛未洋擾)。 第18回から第21回 閔妃が男児を出産するが、その子は肛門がふさがっていて、手術をせずに死ぬ。 第22回 金炳學が、6年の長期在任を理由に領議政を辞任したい旨、大院君に伝達する。閔妃は息子の死から立ち直るが、その凛とした姿に夫である高宗からの寵愛がますます深まる。 第23回 閔妃は、何よりも大事な跡取り息子を死なせてしまったためこれ以上に怖いものは何もなくなったとして、吹っ切れたような表情を見せるようになる。また、前回で辞意を固めた、安東金氏の最後の首長でもある金炳學が遂に領議政を辞し、後任に(ドラマ初登場の)洪淳穆が就いたほか、これを契機に物理的な執政の建物や場所(=政庁)が従前の承政院から大院君の居城たる雲ヒョン宮へと移され、益々大院君に権力が集中することとなる。もっとも、大院君は息子の高宗から、領議政金炳學の後任にならないかと一度打診されたが、これは即ち父子関係から君臣関係に戻らないかという提案でもあることから、頑なに拒絶する。 第24回 大院君は改革の為と銘打ち、{[領議政]]だった金炳學に金炳學自身の出自でもある安東金氏を政界から駆逐させたうえ、同じく安東金氏出身の金炳冀には李朝を支える二大勢力であった儒者の根城である書院を撤廃させた他、これも同じく安東金氏出身で金炳學の弟でもある金炳国に対し、李朝を支える二大勢力のもう一翼であった両班へ課税する案件を任せた。これは、一連の「改革」を担わせることで、嫌われ役を一気に背負わせることによって中央政界に残った最後の安東金氏までをも根絶しようとする大院君の意図があったほか、大院君の改革にとって目障りな抵抗勢力である守旧派の儒者及び両班を没落させる狙いもあった。 第25回 齢50歳を超え、自らが引退する前に王家の跡継ぎとなる嫡子を擁立したいと主張する大院君は、現時点において高宗の血を引く男児は高宗の妾である永保堂李氏の息子である完和君しかいないことから、その子を嫡子にしようと強行な動きを見せる。これに対し、一国の主としての自覚を持ち始めた高宗は、閔妃への想い入れもあって専横な振舞いを繰り返す大院君の主張に頑強な反対の姿勢を示すが、結局は臣下からの進言もあり永保堂李氏の息子の嫡子冊立を3年後まで延ばすことを条件に大院君の主張受け入れ、事態は決着をみせる。その後、大院君は「大老」の称号を贈られることとなるが、新しく同副承旨に任命された、以前に大院君の失政を批判する上訴で一度は官職を剥奪されたこともある崔益鉉による、突然の上訴が行われることとなる。 第26回から第32回 1873年、儒者崔益鉉が上疏によって大院君を非難する。この上訴が端緒となって国王の父として権勢をふるった攘夷政策の主導者である大院君が失脚・引退する(第32回)。
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