堀江 (浦安市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 02:04 UTC 版)
堀江 | |
---|---|
北緯35度39分38.22秒 東経139度53分30.87秒 / 北緯35.6606167度 東経139.8919083度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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面積 | |
• 合計 | 0.981 km2 |
人口 | |
• 合計 | 16,050人 |
• 密度 | 16,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
279-0041[2] |
市外局番 | 047[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
堀江(ほりえ)は、千葉県浦安市の大字。現行行政地名は堀江一丁目から堀江六丁目。郵便番号は279-0041[2]。
地理
埋立前からの旧町域である元町地区に属する。区域内にはフラワー通りが通っている。二丁目に東榮信用金庫浦安支店、四丁目に浦安市消防署堀江出張所、市川市農業協同組合浦安支店、五丁目に浦安堀江郵便局、市立南小学校、六丁目に浦安病院がある。東は東野、西は東京都江戸川区東葛西、南は富士見、北は猫実と接している。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日に公表された公示地価によれば、堀江1-14-23の地点で23万3000円/m2となっている。[4]
歴史

元は江戸川(旧江戸川)河口左岸の三角州、境川以南の先端部までを領域とし、さらに右岸側の中州も村内に組み込んで「堀江新田」として開発した。1895年(明治28年)に千葉県、東京府、埼玉県の3府県にまたがって江戸川を境界とすることが確定し、河口右岸の堀江新田は東京府の南葛飾郡葛西村に編入された(現江戸川区南葛西・堀江町)。1982年(昭和57年)に住居表示が実施され、北半部が堀江一丁目〜堀江六丁目、南半部が富士見一丁目〜富士見五丁目となった。区域内にはフラワー通りがあり、かつては浦安一の繁華街であった。
地名の由来
鎌倉時代に、地内に小さな港が作られていたことから「堀江」となったと言われている。
沿革
- 1869年(明治2年) 葛飾県の設置により、同県の管轄となる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県後の府県再編により印旛県葛飾郡堀江村となる。
- 1873年(明治6年) 県の統合により千葉県葛飾郡堀江村となる。
- 1878年(明治11年) 郡区町村編制法により葛飾郡が分割され、東葛飾郡堀江村となる。
- 1889年(明治22年) 東葛飾郡猫実村、当代島村と合併し、東葛飾郡浦安村大字堀江となる。
- 1895年(明治28年) 大字堀江のうち、江戸川右岸の区域(堀江新田)が東京府に編入され、南葛飾郡葛西村大字堀江となる。
- 1909年(明治42年)9月1日 町制施行。東葛飾郡浦安町大字堀江となる。
- 1981年(昭和56年)4月1日 市制施行。浦安市大字堀江となる。
- 1982年(昭和57年)10月1日 住居表示施行により、浦安市堀江一丁目~六丁目となる。
世帯数と人口
2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
堀江一丁目 | 1,702世帯 | 3,136人 |
堀江二丁目 | 1,255世帯 | 2,290人 |
堀江三丁目 | 1,182世帯 | 2,126人 |
堀江四丁目 | 1,919世帯 | 3,483人 |
堀江五丁目 | 1,180世帯 | 2,258人 |
堀江六丁目 | 1,226世帯 | 2,241人 |
計 | 8,464世帯 | 15,534人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
堀江一丁目 | 全域 | 浦安市立南小学校 | 浦安市立堀江中学校 |
堀江二丁目 | 全域 | ||
堀江三丁目 | 全域 | ||
堀江四丁目 | 全域 | ||
堀江五丁目 | 全域 | ||
堀江六丁目 | 全域 |
施設
関連項目
脚注
- ^ a b “住民基本台帳人口(字別)”. 浦安市 (2017年11月2日). 2025年4月17日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月15日閲覧。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ “浦安市立小・中学校の通学区域”. 浦安市 (2014年4月23日). 2017年11月15日閲覧。
「堀江 (浦安市)」の例文・使い方・用例・文例
- 堀江謙一さんはそのことをよく知っている。
- 1962年,堀江さんはヨットで太平洋を単独横断した初めての日本人となった。
- 堀江さんはまた,世界最小のヨットでの太平洋横断にも成功した。
- 堀江さんは5月12日に兵庫県の新西宮ヨットハーバーを出発し,1962年の航海で使ったのと同じ1万キロのルートを無寄港でたどった。
- 日本での記者会見で堀江さんは,「友人は私の髪が白くなったと言うが,やりたいことはまだ多くある。今回は新しい挑戦の始まりだ。」と話した。
- 「次の航海は2005年を考えている。」と堀江さんは言った。
- 株式会社ライブドアの堀江貴(たか)文(ふみ)社長が,宇宙カプセルを一般公開し,宇宙旅行事業に参入すると発表した。
- 堀江社長はこの事業に数十億円の個人資金を投資する予定だ。
- 堀江社長が使用する予定の宇宙カプセルは,もとは1970年代にソ連によって軍事・スパイ目的のために設計された。
- 堀江社長は,宇宙旅行のコストを現在の価格の10%以下まで下げたいと話した。
- 捜査では,堀江社長がこの件に関与していたかどうかの解明に努めていく。
- この捜査で,先週,東京地検はライブドア本社や堀江社長の自宅を含む10か所以上を家宅捜索した。
- 逮捕直前には,検察官が堀江社長に事情聴取も行っていた。
- 23歳のときに初めて単独で太平洋を横断航海して以来,堀江さんは単独無寄港世界一周航海やリサイクル素材でのヨット作り,ウエーブパワーボートでの航海など,長年にわたって多くの功績を残してきた。
- 堀江さんは都内での記者会見で「植村さんをとても尊敬している。彼の賞をもらえてうれしい。」と話した。
- 今後の予定について,堀江さんは「100歳まで航海を続けたい。」と話した。
- 堀江さんは1962年に日本人として初めて太平洋を単独で横断航海した。
- 天皇陛下が堀江さんの健康に対して気遣いを示された時,堀江さんは「私はヨットに乗れば乗るほど,気分が良いのです。」と話した。
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