国軍総司令官として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 06:00 UTC 版)
「ミン・アウン・フライン」の記事における「国軍総司令官として」の解説
2009年コーカンでのミャンマー民族民主同盟軍との紛争(英語版)を指揮。この功績により、2010年6月、トゥラ・シュエ・マンの後任として陸海空軍統合参謀長に抜擢され、2011年3月にタン・シュエの後任として総司令官に指名された。 民政に移管したとはいえ、憲法上国軍総司令官は大統領に次ぐ大きな政治的権限を持っており、テイン・セイン大統領との距離も近いフラインはミャンマー情勢のキーパーソンとなっている。 民主化には基本的に前向きな姿勢を示しているが、未だ抵抗を続ける武装組織の鎮圧など国内の治安向上と秩序の維持が不可欠であるとし、「政党政治への偏重は国を不安定にする。ゆとりあるペースの改革が適切な発展をもたらす」と「規律ある民主国家」のためには軍の影響力を維持する方針を続けており、憲法改正をはじめとする早急な民主化の進展には消極的である。しかし、2015年11月予定の上下両院選でNLDが勝利した場合であっても、選挙の結果を支持すると発言した。 また、軍事政権のもと停滞しがちだった欧米諸国との関係修復にも努め、東南アジアでも高まりつつあるISILへの脅威に対し、「多くの機関や国と連携して対処する必要がある」と国際的協調の姿勢を強調している。 とりわけ、日本との接近が大きい。2013年1月3日、ミャンマーを訪問した麻生太郎副総理および笹川陽平日本財団会長と会見。2014年9月23日には、同年5月の岩崎茂統合幕僚長(当時)の訪問への返礼として公式訪日。菅義偉内閣官房長官、岩崎統合幕僚長と会見した。ミャンマー国軍総司令官の訪日は初のことであった。 一方で、エーヤワディー・ニュース・マガジンなどの反政府系メディアからは、少数民族武装勢力や反政府活動の鎮圧に携わった経歴や、反政府勢力鎮圧に中国からの軍事的支援を受けているとの批判がある。 ただし、本人は欧米や中国に関係なく非同盟中立的・全方位外交の姿勢を示している他、「目立つ形での武器の供与は周辺国に懸念を生みかねない」とも発言している。 ミャンマーの趨勢と同様に、ロヒンギャの存在を認めておらず、バングラデシュからの不法移民、「ベンガル人」と認識している。2017年9月1日、ロヒンギャの武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)の「掃討作戦」に際して、「ラカイン州で1942年の危機を再び起こさせはしない」と主張した。これは、太平洋戦争(大東亜戦争)におけるビルマの戦いで、「ベンガル人」はイギリスに味方し、ビルマ(当時)独立を妨げた裏切り者という意味の発言である。また、9月15日にはFacebookで、「過激派のベンガル人」は「ミャンマーでは決して民族集団では無かった、(にもかかわらず)ロヒンギャとしての認知を求めている」と改めて主張し、「ミャンマーの全ての市民は、愛国心で連帯し、メディアは団結すべきである」と述べた。 国際連合によると、2017年初めにはミャンマー国内のロヒンギャはおよそ80万人と推計されていた。国際移住機関によると、9月19日現在、8月25日からの「掃討作戦」で、家を追われバングラデシュに逃れたロヒンギャは42万1千人に上っている。アメリカはロヒンギャ迫害を理由にフラインを経済制裁の対象とした。 2021年2月1日、2020年11月の総選挙での国軍系の政党のUSDPがスーチー率いるNLDに大敗した事を受け、選挙の不正を理由にミャンマー国軍の政権奪取を牽引し、三権を掌握した(2021年ミャンマークーデター)。8月1日には暫定政権の首相に就任し、すでに無効とした2020年総選挙の再選挙を2023年8月までに実施することを表明した。
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