国軍時代の秘密再武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:10 UTC 版)
「ドイツ国防軍」の記事における「国軍時代の秘密再武装」の解説
「ヴァイマル共和国軍」および「ドイツ再軍備宣言」も参照 第一次世界大戦に敗北したドイツでは帝政が崩壊したが(ドイツ革命)、陸軍参謀次長のヴィルヘルム・グレーナーはドイツ社会民主党のフリードリヒ・エーベルトと密約を結び(エーベルト・グレーナー協定(ドイツ語版))、共和国への支持の見返りに、陸海軍の存続保証を得た。1919年3月6日に軍はvorläufigen Reichswehr(暫定国軍)として再建された。1921年1月1日にはReichswehrと改称している。日本語ではヴァイマル共和国時代の軍隊である点を強調して「ヴァイマル共和国軍」と訳し分けることもあるが、Reichswehr時代も「国防軍」と訳出されることがある。グレーナーの協定があったにもかかわらず、軍内にはパウル・フォン・ヒンデンブルク元帥を始めとする帝政支持派が多く、共和制とは一線を画した存在であった。1920年に陸軍統帥部長官 (Chef der Heeresleitung der Reichswehr) に就任したハンス・フォン・ゼークトは軍の政治的中立に重点を置き、装備の充実を図った。この政党から超然とした軍は「国家内国家」と呼ばれることになる。 ヴェルサイユ条約の軍備制限条項によりドイツの軍隊は陸軍兵力を10万人に限定され、義務兵役制度も廃止された。機構面でも参謀本部、陸軍大学校、陸軍士官学校は禁止され、軍備でも戦車部隊、重火器は禁止された。海軍兵力は1万5000人、戦艦6隻、巡洋艦6隻および駆逐艦12隻の保有のみが認められた。また、航空戦力の保持は禁止された。軍を離れねばならなかった旧軍人は巷に溢れ、社会的に不安定な要素となった。軍はヴェルサイユ条約の規制をかいくぐって軍備の維持、向上を目論んだ。参謀本部は「兵務局」に偽装して存続させ、将来の拡充を見越して、下士官に将校レベルの教育を行った。またドイツ義勇軍などに偽装した形で人員の確保を行った(黒い国防軍)。また赤軍の協力を得てソ連国内で秘密裏に航空機、戦車、化学戦等の訓練施設を設け、将来の再軍備への準備を怠らなかった。戦闘機を旅客機、戦車を農業用トラクターと称し、郵便配達人の自衛用との名目で小銃を開発するなど、あの手この手で軍備を整え技術を高めていった。この結果世界初のジェット戦闘機メッサーシュミット Me262、アサルトライフルの始祖StG44 (突撃銃)、初のミサイル兵器V2ロケットなど当時としては画期的な兵器が数多く生み出されることとなる。
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