国軍機構改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/25 14:16 UTC 版)
ムルダニはすぐに国軍改革の第一歩を踏みだし、直近の目標として、コスト削減のリストを作り、効率性を向上させ、プロフェッショナリズムを追及した。 軍の指揮構造に関しては、1969年創設以来の三軍統合の方面軍司令部 (Komando Wilayah Pertahanan, 略称 Kowilhan) を廃止した。それから陸軍、海軍、空軍の地方司令部体系を再編した。陸軍の地域軍管区 (Kodam) は16区から10区に再編統合された。8海軍司令部 (Komando Daerah Angkatan Laut, 略称 Kodaeral) は2艦隊司令部(スラバヤの東部方面艦隊司令部とジャカルタの西部方面艦隊司令部)に再編された。8空軍司令部 (Komando Daerah Udara, 略称 Kodau) も同様に2防空司令部に再編された。警察もそのお役所体質を改編し、即時に行動を取れるだけの必要最小限なレベルの警察力にまで削減された。 ムルダニは国軍アカデミー (Akademi ABRI, 略称 Akabri) のカリキュラムに占める非軍事教育の割合を削減する方向性を示した。アカデミーの教育内容における質の向上と同時に、ナショナリストとしての資質を強化させるために、ムルダニは、後に国家エリート集団の一員となるべき輝かしい才能たちを訓練するための学校、すなわち上級高等学校(プレ・アカデミー)という概念を生み出した(その学校は現在、タルナ・ヌサンタラとして運営されており、マグランの国軍アカデミーに隣接している)。ムルダニはまた ASEAN 各国の軍隊との協力を推進した。
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