国家イデオロギーとの衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:18 UTC 版)
「朝鮮民主主義人民共和国の宗教」の記事における「国家イデオロギーとの衝突」の解説
「唯一思想体系」および「主体思想」も参照 組織宗教に関する当局の異なる態度は、何度か改正された憲法に反映されている。1948年憲法の第14条は「朝鮮民主主義人民共和国の市民は宗教的信条や宗教的な儀式を執り行う自由を持つ」と明記された。しかしながら、1972年12月27日に制定された憲法の第54条は「宗教的自由や宗教に反対する自由(反宗教プロパガンダの自由とも訳される)を持つ」と書かれた。一部の観察者は、1972年には政治権力が最早ひどく弱められた組織宗教を支える必要も無くなったので変化が起きたと議論した。1992年憲法では、第68条は宗教的信念の自由を与えており、宗教的な使い方や儀式の為に建物を建設する権利を保障している。しかしながらこの条文は「何人たりとも宗教を外国勢力を引っ張り込んで国家や社会の秩序を破壊する為に使ってはならない」とも明記されている。北朝鮮は朝鮮仏教徒連盟や朝鮮基督教連盟、天道教青友党といった国家が支援している宗教団体を国際的な宗教会議に出している。 これらの公式な宗教が在るにも拘わらず、更に大きな注意が「偉大なる首領様」故金日成主席とその息子「親愛なる指導者」故金正日に向けられている。彼らの肖像画が街の通り、学校、公的建築物、そして全ての民家といった至る所に掲げられている。金親子によって生み出されたイデオロギーに関する発言や文書は、子供と大人双方にとって教育の主要な基礎となっている[要出典]。金親子の家系は神話に取り囲まれている。公的な行事では、この二人をそれぞれの市民一人ひとりのと同様に、国家の救世主として表現する歌が歌われている[要出典]。 『主体思想』の教義と共に、この個人崇拝はスターリニズムの台頭の前に北朝鮮で盛んになった宗教の慎重な置き換えに終わった。人権監視団によると、この体制変換は政府によって信教の自由を装う為に作られた組織を支援するだけで、自由な宗教活動を終わらせた。宗教的活動を禁止し宗教への反対を認めた1992年の憲法条項の取り消しが、実際の状況の変化をもたらしたという事は、ありそうもない。 解放以前にも1910年から1945年まで朝鮮半島を統治していた大日本帝国によって宗教活動は制限されていた。当時、非寛容には別の類似した様な理由が在った。皇室崇拝と国家神道及び朝鮮神宮などの朝鮮に建造された神社参拝の強制である。
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