国学・蘭学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 01:26 UTC 版)
江戸中期以降、古典を研究し日本古来の精神や文物を究明しようとする国学が発達した。また、幕藩体制が動揺するなか、新しい思想を説く思想家が現れた。近世前期の経世論では、熊沢蕃山が『大学或問』を著して武士帰農論や参勤交代批判を展開。荻生徂徠も武士土着論を説くが、その弟子太宰春台は市場経済の興隆を容認した。近世後期には、本多利明が『経世秘策』などを著し、外国との交易や島々の開発による富国策を提案。佐藤信淵は『経済要録』『混同秘策』などで、絶対主義(国家社会主義)的な統一国家の形成と積極的な経略(海外侵略)論を主張。農業論では、大蔵永常が『広益国産考』などで農家の利益と国益を論じる。尊王論では、蒲生君平が先駆となる『山陵志』を著し、頼山陽や後期水戸学(会沢正志斎『新論』など)によって体系化されていった。海防・開国論では、工藤平助が『赤蝦夷風説考』を著し蝦夷地の開発を提唱。林子平は『海国兵談』で海防論を展開した。渡辺崋山や高野長英は蛮社の獄の起因となった。 蘭学を基礎に、幕末にかけて自然科学を中心とした洋学が発達した。しかし、幕府の規制や蘭学者の関心により実学の分野に留まった。洋学者は青木昆陽・野呂元丈とツンベルクを始めとして、のちに語学・医学・物理学・天文学・測地学・化学・植物学の分野で大いに発展した。前野良沢や杉田玄白、大槻玄沢などはよく知られている。
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