名古屋港跳上橋(旧1・2号地間運河可動橋)
名称: | 名古屋港跳上橋(旧1・2号地間運河可動橋) |
ふりがな: | なごやこうはねあげばし(きゅういち・にごうちかんうんがかどうきょう) |
登録番号: | 23 - 0020 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
構造: | 鋼製跳開式可動橋,橋長63.4m,幅員4.7m |
時代区分: | 昭和前 |
年代: | 昭和2 |
代表都道府県: | 愛知県 |
所在地: | 愛知県名古屋市港区入船1-6,千鳥2-4地先 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | 『動く橋の仲間たち』(長浜町・動く橋シンポジウム実行委員会 1994) |
施工者: | |
解説文: | 堀川と中川とを連絡する運河の堀川口に架けられた鉄道可動橋で,4径間の桁橋より成り,内1径間を可動桁とする。上部カウンターウエイト式の跳上橋で,可動橋の第一人者である山本卯太郎の設計製作になる。鉄道廃線後,桁を上げた状態で保存されている。 |
土木構造物: | 古里歩道トンネル 吉井川橋梁 吉田橋梁 名古屋港跳上橋 呉川眼鏡橋 喜久水酒造地下貯蔵研究所 四国村石舟のアーチ橋 |
名古屋港跳上橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:17 UTC 版)
名古屋港跳上橋(なごやこう(みなと)はねあげばし)は、愛知県名古屋市港区の堀川河口部の西側に位置し、1980年(昭和55年)まで運行していた東海道本線の貨物支線(通称「名古屋港線」)の旧1・2号地間運河に架設された鉄道用の跳上橋である。旧1・2号地間運河可動橋[1]、堀川可動橋とも称する。可動橋の第一人者である山本卯太郎の設計である。
注釈
- ^ 当時、名古屋は紡績業が発展し、原料の綿花を名古屋港に直接輸入して保管するには、倉庫のある1号地までの鉄道延伸が必要となった。
- ^ 工費: 100,000 円
- ^ 鋼製跳開式可動橋
- ^ 可動橋としての使命を終えたのは、前年の1986年(昭和61年)である。
- ^ 男子(母: 尾張藩士の娘)を儲け、仕事も軌道に乗って順風満帆の日々を送った。
- ^ 学費の徴収がなく、全て官費で賄われる高等商船学校に進む。
- ^ a b 「勞」を「労」にするなど、新字体などに直す。
- ^ 英米のように低水位河川法案を設けることも提言している。
- ^ a b 大阪を例にとる。
- ^ 放射線状の路線や縦貫路線はあると前置きしている。
- ^ 本文献には、名古屋港第1第2号地間鉄道橋跳上橋として、諸元なども併記されている。
- ^ 「樣」を「様」にするなど、新字体などに直す。
- ^ 井筒基礎。ケーソン基礎の一種。
- ^ 名古屋港管理組合の前身
出典
- ^ a b c d e f g h 名古屋港跳上橋(旧1・2号地間運河可動橋) - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 国土交通省・名古屋港湾空港技術調査事務所・技調まんなか便り・Vol.11
- ^ “土木学会 平成28年度度選奨土木遺産 名古屋港跳上橋”. www.jsce.or.jp. 2022年6月9日閲覧。
- ^ a b 山本卯太郎 「鋼索型跳上橋の一考案」『土木学会誌』第14巻第6号、土木学会、1928年(昭和3年)12月。
- ^ a b 山本卯太郎 「産業都市発達と可動橋の現代性」『土木建築工事画報』第6巻第6号、工事画報社、1930年(昭和5年)6月。
- ^ a b c d e 鈴木雅次 「名古屋港の新跳開橋」『土木建築工事画報』第3巻第11号、工事画報社、1927年(昭和2年)11月。
- 1 名古屋港跳上橋とは
- 2 名古屋港跳上橋の概要
- 3 概要
- 4 諸元
固有名詞の分類
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