史上最年少タイトルへの道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:23 UTC 版)
「屋敷伸之」の記事における「史上最年少タイトルへの道」の解説
奨励会入りは中学2年生と遅めであったにもかかわらず、史上最年少タイトル(当時)の記録を樹立する。 将棋を覚えたのは小学2,3年生の頃。父からルールだけを教わった後に小学3年のときに将棋の強い教師に出会う。その教師に勝てるよう指すうちにのめり込んでいき、小学3年生の終わりか4年の初め(本人談)にアマ初段になる。 1983年、小学6年生で第8回小学生将棋名人戦に出場し、3位。(前年の小学生名人戦ベスト8)。 1985年、中学2年生のとき父の転勤で本州へ引越し、第10回中学生名人戦で優勝(神奈川県代表)。同年、13歳で奨励会に入会。 1988年10月1日、16歳のときに四段昇段してプロ入り(第3回三段リーグを14勝4敗の2位で通過)。奨励会6級から四段昇段までは2年10か月である。入会時の年齢が違うために単純な比較は難しいものの、それ以前に奨励会を記録的な速さで駆け抜けたことで話題となった谷川浩司(11歳で入会し所要3年8か月)、羽生善治(12歳で入会し所要3年)、村山聖(14歳で入会し所要2年11か月)らよりも短期間でプロ入りしている。しかも、彼ら3名がプロ入りした頃は三段リーグ制度がなくその開幕を待たずに三段として指すことができたために速度の点では屋敷よりも有利な条件であり、かつ、谷川と村山については5級入会だった。『将棋世界』2009年1月号では、6級入会者の2年10か月での奨励会卒業は最速記録ではないかとしている。第3回三段リーグでは1位の小倉久史と屋敷が三段リーグ1期抜けを果たしたが、第1回を除くと三段リーグ初挑戦者によるワンツーフィニッシュは2018年11月に至るまでこの時が唯一であり、三段リーグ1期抜けも両者のほかには第12回(1992年度後期)で川上猛、第24回(1998年度後期)で松尾歩、第53回(2013年度前期)で三枚堂達也、第59回(2016年度前期)で藤井聡太が達成しただけである。 第55期(1989年度後期)棋聖戦の予選・本戦トーナメント(1989年4月11日 - 11月27日)で高橋道雄や当時竜王の島朗を破るなどして一番下から連戦連勝し、中原誠棋聖への挑戦権を得た。タイトル挑戦時17歳10か月24日の年齢は当時の史上最年少、プロデビュー1年2か月でのタイトル挑戦は史上最速、順位戦C級2組在籍・段位が四段の棋士としても史上初であった。中原との五番勝負(1989年12月12日 - 1990年2月2日)は、フルセットの2勝3敗で惜敗。なお、このとき高校在学中であった(のちに卒業)。 しかし、第56期(1990年度前期)の棋聖戦でも、本戦トーナメント(1990年3月27日 - 5月28日)を勝ち上がり、中原に2期連続挑戦。五番勝負(1990年6月18日 - 8月1日)では2連敗の後に3連勝して奪取。18歳6か月で初タイトルを獲得(当時タイトル獲得の最年少記録)。 前年に羽生善治が作ったばかりの史上最年少タイトル獲得(竜王、19歳)の記録を1年足らずで塗り替えた。また、プロデビューから1年10か月での初タイトル獲得も、歴代最速である。 第57期(1990年度後期)の棋聖戦五番勝負(1990年12月11日 - 1991年1月25日)は、森下卓の挑戦を3-1で退けて防衛し、当時のタイトル防衛の最年少記録を達成。しかし、続く第58期(1991年度前期)棋聖戦五番勝負(1991年6月18日 - 7月31日)で、南芳一に2-3で敗れ、これはタイトル失冠の最年少記録となった。
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