反宗教運動の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:18 UTC 版)
「朝鮮民主主義人民共和国の宗教」の記事における「反宗教運動の歴史」の解説
北朝鮮の極端な孤立が理由で、外部の観察者が過去60年以上に渡って北朝鮮の宗教組織に何が起きたのかを知る事は非常に難しく、その結果として何が起きたのかについて研究者達の間で重要な異なる解釈が行われている。 北朝鮮での開かれた宗教活動は金日成が権力を握った後に迫害されて絶滅させられ、現在では政治的見世物としてのみ復活していると解釈する人も居れば、宗教は生き残り、過去数十年間で偽り無く復活したと解釈する人も居る。 金日成は自らが書いた文章の中で宗教を批判し、北朝鮮のプロパガンダは文章で、映画で、そしてその他の媒体で宗教を否定的な見方で描いた。主体思想は屡々宗教に取って替わり、朝鮮人に宗教は非科学的な迷信であると教えた。金日成の宗教に対する攻撃は、朝鮮半島で宗教が帝国主義者が手段として用いていたという考えに強く基付いている。金日成は彼を支持したキリスト教徒に対しては賞賛したが、他のキリスト教徒が朝鮮戦争の時に国連軍に荷担したと批判した。 朝鮮戦争の頃の記述には、「金日成が支配していた地域で、彼によって激しい宗教弾圧が行われた」と記されている。朝鮮戦争の前に、朝鮮半島のキリスト教共同体は最も重点的に半島北部に集められ、朝鮮戦争が始まるとキリスト教徒の多くは南部に逃亡した。北朝鮮のキリスト教徒は他の人々よりも社会経済的に高い地位に居る事が多く、この理由での迫害を恐れて彼らの逃亡を促したと解釈する人々が居る。アメリカ軍による空爆による破壊や北朝鮮人が朝鮮戦争の時に経験した苦難は、アメリカ人に対する燃えさかる憎悪を煽り立て、キリスト教はアメリカの宗教として攻撃の対象となった。宗教は共産主義を打ち立てるのに障害だと見られたため、次の数十年間で攻撃され、多くの人々が新しい現実に適応する為に棄教した。亡命者からの情報と同様に朝鮮戦争期の記述を基にすると、北朝鮮は1960年代に宗教を完全に絶滅させた世界で唯一の国家であると解釈される。 この解釈に従えば、その後に登場した仏教は見世物に過ぎず、仏教は絶滅させられたと考えられた。北朝鮮の「朝鮮基督教連盟」(北朝鮮傘下のキリスト教徒による組織で、1970年に始まった)はこの解釈では外の世界に向けて有利なイメージを提供する事を目的としていた「偽物」の組織だと考えられた。恐らく彼らは迫害の中を生き延びた北朝鮮での偽りの無い信仰共同体を示すと考えた人々も居る。これらの宗教共同体は、マルクス・レーニン主義や金日成の指導に帰依する振りをして生き延びた、偽りの無い信仰を持った人々であったと解釈する人も居る。この解釈は1960年代に北朝鮮が共産主義シンパの200人のキリスト教徒の存在を認めたと示した最近集められた証拠や、北朝鮮政府高官の何人かがキリスト教徒で彼らは名誉を持って埋葬されたという事実(康良煜(英語版)は長老派教会の牧師で1972年から1982年まで北朝鮮の副主席を務め、キム・チャンチュンはメソジストの牧師で最高人民会議の副議長を務めた)によって裏付けられている。 異なっている解釈は金日成体制下の最初の数十年間で宗教が消滅した事に概ね同意する。特に北朝鮮政府の立場がそれぞれの時にどういったものだったのかについて研究者達の間で未解決の推測が先立ち、北朝鮮は宗教に関して公的方針を明らかにしなかった。
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