加藤慶之
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加藤 慶之(かとう よしゆき、 (1978-02-27) 1978年2月27日(44歳) - )、東京都国分寺市出身。血液型A型。チョコレッツ結成時のメンバーの1人。バンドで活動していた土屋礼央をRAG FAIRに誘った人物。愛称は「かとうさん」。RAG FAIRでのパートはハイテナー。本人曰く、地声で出せる一番高い音はhiD。大食いで1人暮らしの時に一升炊きの炊飯器を所持していたが、実際には7合しか炊いていなかった。 ハマったらとことんのめり込む性格で、幼稚園の頃はハーモニカ、小学生の頃は一輪車やコマ回しや縄跳びにはまる。縄跳びは小学1年の時に市民大会に出場し二重飛びの部門で3位、続け飛びの部門で優勝をする。0歳から始めた水泳の成果で高校の時に水泳大会で好記録をマーク。水泳部員に勧誘されるが卓球部に入部。活動日が重なっていなかったため合唱部にも入部。 音楽は幼稚園の頃からエレクトーンを学んでいた。音源の入ったカセットテープと楽譜を渡されても音源を聞いて覚えて終わりにしてしまう。テープが渡されなかったことがあり、弾けなかった時に「テープがなかったから弾けませんでした」と言って先生に怒られた。中学の時、音楽の成績は低かったが、先生と友人の影響で成績が上がる。 東京都立国分寺高等学校出身で高校の卓球部の1学年上に土屋が在籍。印象は「ただ変わった人、一匹狼、どこか1人違う雰囲気の人」だった。その土屋をRAG FAIRに誘ったのは、高校時代一度だけ一緒に行ったカラオケがきっかけ。光田健一の「Naturalman」にコーラスとして参加。高校3年の時に合唱祭でアカペラデビューをする。よく響くトイレで練習しており、本番でアヒル声の曲を歌っていたところ全校生徒にウケたのでDUCKSと命名。埼玉大学工学部情報システム工学科を専攻。テニスサークルに入っていたが、先輩に「アカペラサークルを作る」と言われDUCKSのスキルを活かすため加入。 大学卒業後、同大学院の修士課程へ。フジテレビ「力の限りゴーゴゴー」でRAG FAIRとして出演していたが、就職をしようとしていた。内定が決まり、ネプチューンの名倉に報告をしたところ「おまえ、就職している場合じゃないだろ」と言われ、RAG FAIRでやっていく事を決意。最終的に決意させたのはメンバーの引地洋輔・荒井健一。 2003年のRAG"F"ツアー後のオフで歌を練習しボイストレーナーの先生にも褒めてもらい、いつかボイストレーニングの先生もしてみたいと思うようになる。2013年からボイストレーニングの仕事をしており2014年8月10日、加藤が講師のボイストレーニングスクール「JOYFUL VOICE」を立ち上げる。 2009年7月31日に行われたINSPiとの合同ファンクラブライブで荒井健一、北剛彦、奥村伸二、杉田篤史、吉田圭介らとBROAD6を立ち上げ、リーダーを務める。最初のグループ名は「加藤JAPAN」。 2012年4月16日にBaby Booの藤森祐輔と水野裕介、ダイナマイトしゃかりきサ~カスのKWANIと共にHumming Birdsを結成。2014年9月6日に光田健一、荒井健一、長谷川友二と共にボーカルグループのハモーレ・エ・カンターレを結成。 2009年2月23日に公式サイトにて一般人女性と入籍したことを発表、RAG FAIR内では加納孝政に続いて2人目の妻帯者となった。人前で話すことを苦手とするが、目立ちたがりである。現在ブログ(加藤慶之の素)を開始。HNは「かとち。」。英語の発音がRAG FAIR内で一番良いため、洋楽のカバーでリードをとることが多い。ドラゴンボールが好きで、孫悟空役の野沢雅子と一緒に写真を撮ったことがある。「おまたせ!!ラグ定食」から寸劇での女装出演が他メンバーと比較して多く、NHK BSの音楽番組「どれみふぁワンダーランド」内の寸劇でも、女装して出演。
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