加藤昇平の事故死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:20 UTC 版)
1981年11月22日、翌日が祝日ということで森脇一家を伴って鳥羽へでも旅行へ行こうと話をしている吉村のもとに、加藤昇平がテスト中に転倒し緊急搬送されたという連絡が届いた。その日、竜洋にあるスズキのテストコースでは翌年のGPレーサー「RG-Γ」とヨシムラのGS1000Rのテストが行われており、GS1000Rのテストを担当していた加藤がタイヤを変え、コースに戻って2周目の右コーナーで事故は起きた。フェンスを突き抜け、土手との間にある用水路の中でうつ伏せに倒れている所をテストに同行していた大矢幸二と浅川邦夫によって救出され、そのまま浜松の労災病院へ緊急搬送された。吉村が駆けつけたときには辛うじて息があったものの、既に意識は無く、そのまま息を引き取った。溺死であった。 吉村は加藤の死にあたって 本当にあんなにいい男が死んだなんて……。あれを死なせたときにはもう後やめちまおうと思いました。でも、じゃあやめて、後は何をするか。乞食でもするか……。何かしなくちゃなんないけど他に何もない。エンジンのことしかやってこなかったから、他に取り柄が何もなかったんです。それに、もしやめたら昇平の意志はどうなるんだろうと考えました。 — 吉村秀雄、ポップ吉村の伝説 と、今までで一番辛い出来事であったと語っている。
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