初期のマリア崇敬とは? わかりやすく解説

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初期のマリア崇敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 16:11 UTC 版)

マリア崇敬」の記事における「初期のマリア崇敬」の解説

2世紀後半リヨン司教エイレナイオスは、マリア最初に本格的に論じた神学者とされるエイレナイオス旧約聖書におけるエバ新約聖書におけるマリア対比して論じたエイレナイオスによればマリアは「従順によって、自分と全人類のために救い原因となったのであるローマプリシア共同墓地英語版)には、3世紀頃のマリアフレスコ画描かれており、これは最も古いマリア絵画とされる。この絵ではマリアが膝にイエス乗せ修道服を着た男性左手に本を持ち右手にはメシア象徴である星をイエス翳している姿が描かれている。プリシア共同墓地には受胎告知とされる描画もある 。サン・ピエトロ大聖堂地下発掘調査では、マリア使徒ペトロが共に描かれているフレスコ画発見されている。 マリアに願う祈り最古とされるものは、4世紀エジプトギリシア語パピルス断片書かれたもので、起源3世紀推定される。これはカトリック教会では中世になって終業祈り」として使われ広く知られるようになり、ラテン語によるその冒頭句によって「スブ・トゥウム・プレシディウム」(あなたの保護よりすがる)と呼ばれている。 313年ミラノ勅令により、キリスト教礼拝が公けに認められると、これと共にマリア崇敬関連する文学発展し始めた。その初期の例として、ローマヒッポリュトスアンブロジウス挙げられるアンブロジウスローマ住んでいたがミラノ移り、そこの司教となった人物で、キリスト者生涯の手本としてマリア崇敬しており、4世紀においてマリア処女性信じ先駆者として後世伝えられる一般信徒のための司教座聖堂教会建てられると、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂、サンタ・マリア・アンティカ聖堂英語版)、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂など、ローマでマリア奉献され教会群が5世紀から6世紀の間に建てられた。しかしながらマリア奉献され教会が最も早く建てられたのは4世紀シリアとされている。これはシリア破壊され遺跡欠片に、「生神女神の母捧げる」とする碑が刻まれていたことから判明した431年エフェソス公会議では、神の母乙女として賛美されることが認められた。「テオトコス神の母)」の称号は、すでに3世紀からキリスト信者の民の信心の中で述べられていたが、このエフェソス公会議広範な議論の後、神の子位格における神性人間性という2つ本性一致と、おとめマリアに「テオトコス神の母)」という称号与えることの正当性について、これらをこの会議正式に確認したのである。 この公会議の後、マリア信心真の意味での爆発的な広まり見られるようになり、神の母マリアに関する教義451年カルケドン公会議改め確認された。この公会議において、キリスト真の神であり、真の人間であること、そしてキリスト人類救いのために、神の母マリアから生まれたことが宣言された。 787年第2ニカイア公会議においては、神への崇拝 (Latrīa)、天使や諸聖人への崇敬 (Dulia) が定められ崇拝崇敬違い、およびマリア対す崇敬天使や諸聖人対す崇敬より高位となることなどが定められた。

※この「初期のマリア崇敬」の解説は、「マリア崇敬」の解説の一部です。
「初期のマリア崇敬」を含む「マリア崇敬」の記事については、「マリア崇敬」の概要を参照ください。

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