初期のホスピス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:37 UTC 版)
歴史家は、最初のホスピスは1065年頃にマルタで始まり、聖地を行き来する途中で病気や死にゆく人の世話をすることに従事したと考えている。1090年代のヨーロッパ十字軍運動の台頭により、不治の病の患者は治療専用の場所に移された。その意味で「巡礼者の宿」ともいわれる。14世紀初頭、聖ヨハネ騎士団により、ロードス島に最初のホスピスが開設された。 ホスピスは、中世には栄えたが、宗教的な騎士団が枝分かれしていくに連れて衰退していった。ホスピスは17世紀にフランスで聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会によって復活した。フランスでは、ホスピス分野での発展が続いた。1843年にはジャンヌ・ガルニエによってアソシエーション・デ・ダム・デュ・カルヴェールのホスピスが開かれた。その後1900年にはさらに6か所のホスピスが誕生した。 一方、他の地域でも、ホスピスは広がっていった。イギリスでは、19世紀の半ば終末期の疾患の必要に注意が向けられるようになり、ランセットやブリティッシュ・メディカル・ジャーナルは、良いケアや衛生状態により終末期の疾患の改善の必要性を指摘した。そこで不十分な施設を是正するための措置が講じられ、ロンドンにフリーデンハイムが開設され、1892年までに結核で死の床にある患者のために35のベッドが提供された。1905年までに、さらにロイヤル・トリニティ・ホスピスを含め4つのホスピスがロンドンに設立された。ロイヤル・トリニティ・ホスピスは、1891年に聖公会(英国国教会)の姉妹団のマザーであるクララ・マリア・ホールによって設立され、1896年にイースト・グリンステッドのセント・マーガレット協会に引き継がれた。オーストラリアでも、アデレードの不治の病の人たちのホームこと、ジュリア・ファーセンター(Julia Farr Centre、1879年)、平和のホーム(1902年)、シドニーの死にゆく人のための平和の英国国教会のホーム(1907年)など著名なホスピスがあり、活発なホスピス運動が展開されている。ニューヨーク市では1899年に、不治のがんの救済のための召使いがセント・ローズ・ホスピスを開設し、すぐに他の都市の6か所に拡大した。ホスピスの初期の発展において、より影響力の大きかったのは、アイルランド、ダブリンのハロルド・クロスにメアリ・エイケンヘッド(英語版)創立のアイルランド慈善修道女会が1879年にもうけた聖母のホスピスである。このホスピスは1845年から1945年までの間に、結核やがんで亡くなった人2万人をケアした。 慈善修道女会はその活動を国際的に拡大し、1890年にシドニーで死にゆく患者のためのに聖心ホスピスを開設、続いて1930年代にはメルボルンとニューサウスウェールズにもホスピスを開設した。1905年、慈善修道女会は、ロンドンにセント・ジョセフ・ホスピスを開設した。
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