再開発初期の取り組みと建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:05 UTC 版)
「ガバナーズ島」の記事における「再開発初期の取り組みと建設」の解説
2007年半ばに、GIPECは5つの最終候補設計チーム(West 8、Diller Scofidio + Renfro、Rogers Marvel Architects、Quennell Rothschild&Partners、SMWM)を発表し、最終的にWest 8がコンテストで優勝した。この計画には、87エーカー(35ha)の空き地および島の南部にある歴史地区の復元と新たな公園造成が含まれていた。人工の丘はWest 8による島の計画の一部で、無料の自転車レンタルもあった。この島は風が強かったため、West 8は一時避難所を提供できる地形を設計した。 計画の一部は実施されなかった。これらにはサンティアゴ・カラトラバ設計の空中ゴンドラや、埋め立てを活用してマンハッタンをガバナーズ島に物理接続するというコロンビア大学の都市不動産センター(CURE)による提案などがあった。2005年にウィリアムズ城をロンドンのグローブ座風の劇場に変える提案が建築家ノーマン・フォスターによって設計されたが、城のデザインに不適合と考えられた。さらに2008年には、リバティ島とエリス島の観光フェリーの警備および発券チェック場所を護岸からガバナーズ島に移し、毎年50万人の人々をガバナーズ島に追加するという計画もあったが実現しなかった。 ガバナーズ島のテナント数は増加し始めたが、2014年時点では1,000に満たなかった。2009年、非営利団体が運営する3エーカー(1.2ha)の商業有機農場が始まった。2010年、ブッシュウィック (ブルックリン区)にあった高校 (New York Harbor School) がガバナーズ島の建物550に移転した。また同年にロウアーマンハッタン文化評議会による運営の芸術スタジオがオープンして建物110の一部に収容された。 ガバナーズ島の古い建造物の解体は、2008年に遺棄されたモーテルの解体から始まった。2010年4月、市が島の開発を管理し、GIPECはガバナーズ島トラストに引き継がれた。市はまたガバナーズ島の歴史的な北端地区を保護し、島の中央と南部を公園として開発し、西部と東部を民間開発のために確保する新たな開発のマスタープランを発表した。マイケル・ブルームバーグ市長の政権が建設の第一段階に資金供与した。2012年5月24日から2億6,000万ドルの公園造成が始まり、沿岸警備隊時代の軍事団地は解体された。 マスタープラン第一段階の一環として、新たなフェリー桟橋と待合施設でソワソン上陸地点が改修され、パレード広場は芝生スポーツ用に改修されたが、歴史地区の開発は踏みとどまった。2013年、新しい飲料水接続と護岸の修理に着手した。リゲット・テラスの中庭は、2014年にハンモック・グローブや新たな遊び場として造成された。オイスター・パビリオンは2015年6月にオープンし、2016年7月に公園10エーカー(4.0ha)のヒルズ区画がこれに続いた。この島は年を追うごとに人気が高まった。2009年には27.5万人の訪問者を集め、2018年には80万人超の訪問者が来訪した。 2016年9月、ガバナーズ島トラストとニューヨーク市経済開発公社 (New York City Economic Development Corporation) は、ガバナーズ島を通年の目的地にするアイデアを展開させるべくオンライン調査を始めた。2年後、市長ビル・デブラシオは、ガバナーズ島の再開発されていない残り部分を宿舎、オフィス、教育用に再区画する手順に公式着手した。再区画提案は、ガバナーズ島を現状のまま維持することを望んでいた活動家からの反対を招いた。また2018年、市行政は3社にガバナーズ島での5G接続技術試験を依頼した。この事業が成功した場合、市行政はニューヨーク市における5Gのより広範な展開を追求することになる。2019年10月、市役所側はこの島に気候変動研究センターを建設することを提案した。
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