再開発事業への参入検討と断念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 00:21 UTC 版)
「小倉玉屋」の記事における「再開発事業への参入検討と断念」の解説
1993年、小倉駅前に小倉そごう(現・小倉駅前アイム)が開業し、市街地中心部から離れた玉屋の売上げは大幅に減少した。玉屋は1階・2階を改装し、食品売り場等を競合店である井筒屋よりも高級志向のテナント・物品を揃えるなど独自性を築いていたが、状況は好転しなかった。 1994年に北九州市が打ち出した「北九州市ルネッサンス構想第二次実施計画」の一つである、室町一丁目第一種市街地再開発事業(後のリバーウォーク北九州の開業事業)に於いては、小倉北区役所とその近隣地域が対象となっていたが、小倉玉屋も対象地域に組み入れられており、地権者として再開発ビル(リバーウォーク)の権利床を所有し入居することを目指していた。 しかし、小倉地区の百貨店3社(小倉そごう、小倉井筒屋、小倉玉屋)のなかで、玉屋が最も苦境に立たされており、2000年(平成12年)春、地元企業や地元財界の大迫忍(元ゼンリン社長)個人の引き受けで1億円から約4億3000万円に増資、経営危機をかろうじて脱する状況であり、銀行は再開発ビルで再営業する場合、現店舗閉店から開業までブランクが発生することを不安視。転入居のための新規融資に難色を示したため、最終的には権利床を北九州紫川開発に売却し、入居を断念した。
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