内モンゴル自治政府
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内モンゴル自治政府(うちモンゴルじちせいふ)は、中華民国大陸時期に東北辺境で成立され、日中戦争後に中国共産党が主導した最初の少数民族自治政府であった。
歴史
1945年(民国34年)8月、日本の敗戦に伴い内モンゴルでモンゴル人による民族自決の機運が高まり、内モンゴル人民共和国、東モンゴル自治政府、フルンボイル自治省政府が成立し、モンゴル人民共和国への編入をも要求する政治運動が発生した。これに対し中国共産党はモンゴル人幹部であるウランフによって内モンゴル人民共和国を乗っ取って内モンゴル自治運動連合会に改組、さらに東モンゴル自治政府及びフルンボイル自治省政府を吸収し内モンゴルにおける共産党の地位を確立した。
中国共産党が内モンゴルをソ連やモンゴル人民共和国に譲渡しようとしているとする中国国民党の宣伝工作があったため、当初は「連合会」と称していたが、国共内戦が始まり、1946年(民国35年)10月に連合会の本部が設置されていた張家口市を共産党が実効支配すると、毛沢東は既定方針を転換し、中華民国から独立したウランフによる内モンゴルでの政府樹立を支持、1947年5月に王爺廟で内モンゴル自治政府を成立させた。同年にウランフは内モンゴル共産党工作委員会の書記に就任し、中華人民共和国建国の年である1949年に中国共産党中央内蒙古分局に改称されるまで中国共産党の傀儡政府であることを隠蔽した。
1949年10月に中華人民共和国が成立すると内モンゴルにおける分離工作の意義はなくなり、同年12月に内モンゴル自治区に改組され、ウランフが自治区主席に就任して政府は消滅した。
参考文献
- ボルジギン・フスレ 『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945〜1949年)』(風響社 2010年)
- 内蒙古社会科学院歴史研究所編 『蒙古族通史』(民族出版社 2001年)
内モンゴル自治政府
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1947年、中国北東部で成立した内モンゴル自治政府は、連邦制度の下で自治実現を目指した。 1947年10月の内蒙自治報の記事では、次のように述べられている。 「 内モンゴルの革命は三段階に分けられる。最初は自治運動の段階で、自治政府が設立される前、次は内モンゴル自治政府設立の段階、最後は将来の「自由な連邦」の段階である。...内モンゴルの人々が同意すれば、漢民族および他の少数民族の連合である「中華連邦共和国」に基づいて、中央政府を形成できる。 」 また自治政府の「政府網領」の規定の中でも、次のように記載されている: 「 内モンゴル自治政府は、内モンゴル全てのモンゴル民族によって内モンゴルの高度な自治を実行する民主的な政府である。中国の自治区は中華民国の一部であり、内モンゴル自治政府はモンゴル人民の土地所有権を完全に保護し、牧草地を保護しています。...漢人とモンゴル人の土地関係を合理的に解決、賃料の減額、増資、相互扶助活動を実施し、人民の経済生活を改善する。また独自の土地政策と独立通貨を発行する権利を有する。。内モンゴル自治政府設立前、ウランフは地方憲法、郷土防衛隊、国家正規軍の中に少数民族などで構成された軍団を組織する権利を有した。 」 自治政府は高度な自治を実行するため、次の指標を掲げた。 土地の所有権を有する。モンゴル自治政府政策綱領では「モンゴル国土の完全性が保護され、牧草地を保護し、自治地域の他民族地の既存権利を保護する。」と明確に規定されている。モンゴル人は土地を私有化せず、貴族及び平民の共有であり、綱領には「総有権(土地は公有や国有ではなく、モンゴル民族全体で所有する)」という用語が登場する。 自治地方軍隊を有し、部隊名は「内モンゴル人民自衛軍」とする。 「綱領」には次のように規定された。「内モンゴル人民自衛軍を発展させ、人民自衛軍は国民に忠誠心を持ち、国民に忠誠心を持ち、政府を支援しなければなならない...」 政府旗を有する。自治政府は独自の旗を掲げた。政府旗は赤、青、赤の横3色で構成され、青の中央には十字の鍬と鞭があり、その上に紅の星がデザインされている。鍬はモンゴルの農民(他民族の農民を含む)を表し、鞭はモンゴルの遊牧民を表す。赤は革命を、青はモンゴル人を象徴している。紅の星は内モンゴル人民革命党を前身とする内モンゴル共産党作業委員会を表している。
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