ユンデン・ワンチュクとは? わかりやすく解説

ユンデン・ワンチュク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 07:57 UTC 版)

ユンデン・ワンチュク
プロフィール
出生: 1871年同治10年)
死去: 1938年民国27年)3月24日
出身地: 内蒙古烏蘭察布盟達爾罕旗
職業: 政治家
各種表記
繁体字 雲端旺楚克
簡体字 云端旺楚克
拼音 Yúnduān Wàngchŭkè
発音転記: ユンドゥアン ワンチュークー
英語名 Yondonwangchug
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ユンデン・ワンチュクは、モンゴル(内蒙古)の王族・政治家、中華民国の政治家。一般に、雲王と略称される。

事跡

1890年光緒16年)、ハルハ(喀爾喀)右翼旗ジャサク(扎薩克)・ダルハン・ベイレ(貝勒)を継承する。1912年民国元年)、親王として北京政府から認められ、ウランチャブ盟長とダルハン旗旗長を務めた。1932年(民国21年)10月、綏遠省ウランチャブ盟保安長官に任命された。

1933年(民国22年)7月、ユンデン・ワンチュクは、デムチュクドンロブ(徳王)とともに内蒙古自治会議を開催し、内蒙古の「高度な自治」を要求する運動を開始した。9月、内蒙古自治政府(後の内モンゴル自治政府とは別物)の委員長に、翌年3月には、蒙古地方自治政務委員会委員長に選出された。1935年(民国24年)2月、国民政府委員に任命されている。

1944年の蒙古政府樹立5周年を記念した切手。ユンデン・ワンチュクの肖像が描かれている。

1936年(民国25年)5月、日本軍の援助・介入により蒙古軍政府が成立すると、ユンデン・ワンチュクが主席に、デムチュクドンロブが総裁に、それぞれ選出された。次いで、翌年10月に蒙古聯盟自治政府が成立すると、引き続きユンデン・ワンチュクが主席となっている。

1938年3月24日、68歳で病没。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。 ISBN 7-80214-039-0 
蒙古軍政府
先代
(創設)
主席
1936年5月 - 1937年10月
次代
(蒙古聯盟自治政府
に改組)
  蒙古聯盟自治政府
先代
(蒙古軍政府から改組)
主席
1937年10月 - 1938年3月
次代
デムチュクドンロブ




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