共作時代の頂点
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「ウィリアム・S・ギルバート」の記事における「共作時代の頂点」の解説
カートは最終的に1877年にシンジケートを集め、コメディオペラ劇団を結成して、11月にはギルバートとサリヴァンの共作3作目『魔術師』を皮切りに、一連の創作英語喜歌劇の上演を始めた。この作品はそこそこの成功となり、1878年5月には『H.M.S. ピナフォア』の上演が続いた。主にうだるように暑い夏のために遅い開演だったにも拘わらず、『H.M.S. ピナフォア』は秋まで超人気の公演になった。利益の分け前についてカートと論争になった後、別のコメディオペラ劇団出資者が競合作を上演するために、ごろつきを雇ってある夜に劇場を襲わせ、舞台装置や衣装を盗ませた。この試みはカートに忠実な劇場の舞台係などによって撃退され、カートはドイリー・カート・オペラ劇団と改名した劇団の唯一の興行主として興行を続けた。実際に『H.M.S. ピナフォア』が大成功したので、アメリカだけでも100以上の独断的興行主が出現した。ギルバートとサリヴァンおよびカートはそのオペラについて、長年にわたってアメリカにおけるその著作権を統制しようとしたが無駄だった。 その後の10年間、サヴォイ・オペラがギルバートの主たる活動領域だった。この一連の作品は、カートがそれらを上演するために建てたサヴォイ劇場に因んでそう呼ばれるようになった。サリヴァンと組んで成功した喜歌劇は毎年1作あるいは2年に1作の割合で上演され続け、その幾つかはミュージカルの歴史の中でも最長公演記録を作っていった。『H.M.S. ピナフォア』の後は、1879年の『ペンザンスの海賊』、1881年の『忍耐』、1882年の『Iolanthe』、1884年の『プリンセス・アイダ』(ギルバート自身の以前の笑劇『プリンセス』に基づく)、1885年の『ミカド』、1887年の『Ruddigore』、1888年の『The Yeomen of the Guard』、1889年の『ゴンドラの船頭達』が上演された。ギルバートはこれら作品制作の監督やあらゆる面を管理しただけでなく、実際には『忍耐』、『Iolanthe』、『プリンセス・アイダ』、『Ruddigore』の衣装「デザイン」も自分で担当した。正確で美的な装置と衣装に固執し、その愚かな登場人物と状況の下地となり焦点となった。 この期間にギルバートとサリヴァンはもう1つの大作、オラトリオの『The Martyr of Antioch』も共作し、1880年10月にリーズ音楽祭で封切られた。ギルバートがヘンリー・ハート・ミルマンによる叙情詩を、音楽に合わせてリブレットにアレンジし、オリジナル作品も加えた。この期間に他所で演じられる劇作も書くことがあり、シリアスドラマ(例えば1878年の『The Ne'er-Do-Weel』や1879年の『Gretchen』)やユーモア作品(例えば1881年の『Foggerty's Fairy』)の両方を書いていた。しかし、もはや以前のように毎年多くの劇を輩出する必要はなくなっていた。実際に1879年の『ペンザンスの海賊』から1889年の『ゴンドラの船頭達』までの9年以上の間で、サリヴァンとの共作以外では3つの戯曲を書いただけだった。その3作の1つ、『喜劇と悲劇』のみが成功した。 1878年、ギルバートは長年の夢だったハーレクイン(道化)の劇を実現した。自身で一部を執筆した『40人の盗賊』のアマチュア慈善興行の一部としてゲイエティ劇場に掛けた。友人のジョン・ドーバンと共にハーレクイン・スタイルのダンスを訓練した。ドーバンはギルバートの劇の幾つかでダンスをアレンジしてきており、ギルバートとサリヴァンのオペラでは振り付けを担当した。プロデューサーのジョン・ホリングスヘッドは後に、「演技の宝石は厳格に熱心で決断したW・S・ギルバートのハーレクインだった。オリバー・クロムウェルがその性格を作り上げたものの概念を私に与えた」と回想していた。役者の一人は、ギルバートがこの作品について疲れを知らず熱中しており、自分の家でのディナーに役者を招いてリハーサルの続きをやることも多かったと回想していた。「彼ほどにもっと気持ちよく、もっと愛想が良くて、心地よい仲間は、不可能ではないとしても、見つけるのが大変だったろう。」1882年、ギルバートは自宅とサヴォイ劇場の対応デスクに電話を設置させ、家に居ながら上演中のものやリハーサルを聞くことが出来るようになった。1878年にはこの新技術に「ピナフォー」と名付けており、それはこの装置が発明されてから2年目、ロンドンではまだ電話交換サービスが始まる前のことだった。
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