ミュージカルの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:41 UTC 版)
ミュージカルの形成は、以下のような流れを経ている。パリで演じられていたオペラ・コミックを発端に、『地獄のオルフェ』(天国と地獄)を作曲したジャック・オッフェンバックに影響を受けたヨハン・シュトラウス2世がウィーンでオペレッタ(ウィンナ・オペレッタ)近代化し、さらにハーバート、フリムル、ロンバーグらがアメリカ合衆国に持ち込んでニューオーリンズで行われていたショーとなり、ミュージカルが誕生したと言われる。第1次世界大戦後のオペレッタ作品とミュージカルを厳密に峻別することは困難だが、前者の、オペラ発声の歌手、クラシック編成の管弦楽団、バレエダンサーによる舞踊、ドイツ語歌詞といった要素が、後者の、地声による自由な歌唱と一体化したダンス(歌手とダンスを分担しない)、打楽器を多用した自由なバンド編成、英語歌詞といった形へと置き換えられていった。ベルリンオペレッタやロンバーグのミュージカルなど、過渡的な形態のものも少なくないし、現代でもドイツ語ミュージカルの制作は盛んであり、両者の区分は常に流動的である。また、ブダペスト・オペレッタ劇場のように、地声発声でクラシックのオペレッタを上演する団体も存在する。オペラとミュージカルの両方を書いているレナード・バーンスタインは、歌によってドラマが進行するのがオペラで、ドラマの結果としての感情を歌に託するのがミュージカルと定義しているが、これもひとつの説にすぎない。音楽の比重が高いのがオペラ、オペレッタという区分も微妙である。さすがにオペラやオペレッタでセリフが過半というものはなく多くて3割程度であるが、ミュージカルは数曲程度しか歌がないものから全編が歌でセリフなしというものまでかなり幅広い。
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