全日本空輸の設立
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その後、国内航空輸送を一本化するという運輸省の方針などにより、両社は合併に向けて協議を開始する。合併比率でもめたものの、日本商工会議所会頭藤山愛一郎、日本航空協会会長郷古潔、日本航空社長柳田誠二郎らの斡旋により、合併手続きは進み、1958年(昭和33年)3月1日、合併登記が完了し設立した。 初代社長には、元朝日新聞社常務取締役で日本ヘリコプター創設者の美土路昌一が就任した。この合併により全日空は、ダグラスDC-3型機9機、デ・ハビランド DH.114 ヘロン3機、デ・ハビランド DH.104 ダブ4機、ベル47D-1ヘリコプター4機など、合計26機をもって、北は北海道から南は鹿児島までの日本全国19都市を結ぶ、日本国内最大のネットワークを誇る航空会社となった。 全日空 (ANA)の成長の過程で特徴的なこととして、総代理店制度の採用が挙げられる。これは、航空輸送事業の黎明期に、各就航地の有力企業と提携し、航空会社の業務のうち、市内業務(営業活動)と空港業務(ハンドリング業務)を業務委託するという画期的な制度であった。業務委託は、市内では航空券販売や電話予約センター、代理店販売促進活動、団体営業など、空港では旅客ハンドリング・貨物ハンドリングから、機内における各種業務や機内清掃まで、幅広かった。 総代理店の主な会社は、今は路線廃止で業務を終了している会社もあるが、「北海道地区」で、三ツ輪運輸(釧路・女満別)、道北バス(旭川)、函館エアサービス(函館)、「東北地区」で日本通運(仙台・秋田)、庄内交通(庄内)、秋北航空サービス(青森・大館能代)、「中部地区」で名古屋鉄道(名古屋)、福井空港(福井)、北陸鉄道(小松)、富山地方鉄道(富山)、新潟交通(新潟)、静岡空港エスエーエス【旧・静岡エアポートサービス】(静岡)「関西地区」で名古屋鉄道(南紀白浜)、「中国・四国地区」で両備バス(岡山)、中国ターミナルサービスJTB(広島)、サンデン交通(山口宇部)、日ノ丸自動車(鳥取・米子)、高松商運(高松)、伊予鉄道(松山)、土佐電気鉄道(高知)、「九州地区」で九州産業交通(熊本)、長崎空港ビル(長崎)、大分航空ターミナル(大分)、宮崎交通(宮崎)、南国交通(鹿児島)、福江空港ターミナルビル(五島福江)、奄美航空(奄美大島)等が挙げられる。総代理店は、大口の株主にもなり、名古屋鉄道は長らく全日空 (ANA)の筆頭株主であった。その関係で名古屋鉄道と宮崎交通は、全日空 (ANA)の社外取締役を輩出しており、特に名鉄は現在まで継続している。全日空 (ANA)と総代理店が共同で航空需要の開拓を行ってきたが、昨今では予約のインターネットへの移行等で総代理店の業務も空港業務に絞られてきている。 その創立に関わった名古屋の名鉄グループとの資本関係は変わっておらず、全日空と名鉄グループに代表される名古屋政財界は有形無形両面からの強力な結びつきを持っているといわれている。その結びつきが表面化した一例として、全日空がそのプログラムローンチ以来深い関わりを持って量産体制を構築したボーイング社最新鋭機ボーイング787(ドリームライナー)の胴体や主翼など主要部品が、愛知県に集積している日本の航空機製造産業拠点で製造され、愛知県常滑市の中部国際空港から787最終組み立て工場がある米国本土シアトルまで専用機で特殊貨物輸送を行っている例がある。前述の総代理店制度時代から現在の787国内生産体制に至るまで、全日空グループと中部地方の産業界とは親密な関係を維持している事が他の企業にはない特徴であるといわれている。
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