人類史のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:28 UTC 版)
人類(※)は、数百万年前にアフリカ大陸で誕生した、とされている。 約540万年前アフリカ大陸で、現在のところ最古の猿人とよばれるアウストラロピテクス属が登場した。これが最初の人類とされている。東アフリカのタンザニアで、猿人の一種である、ジンジャントロプス(Zinjanthropus、en:Paranthropus boisei)の化石が発見された。 エチオピア北東部ハダール村付近では、318万年前のアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人、en:Australopithecus afarensis)の化石骨が、1974年11月24日に発見された(この骨は「ルーシー(Lucy)」と名付けられた。) (※)人類と他の動物、他の霊長類の区別は、今日さまざまな見解があるが、直立二足歩行が基準であるとの考えが有力である。それは、記録のない時代のことを文書で判断することはできないが、化石骨とその出土層位さえ与えられれば直立二足歩行の可能性は解剖学、人類学の見地からの検討が可能となるのである。その年代は従来約400万年前といわれていたが、今日では約500万年前、学者によっては550万年前ないし600万年前の年代があたえられている。 (※)現代の生物学では、地球上のすべての生物は原始生物から進化したものと理解されており(進化論)、ヒトを含む霊長類も同様である。最初は海中にいた動物の一部が、やがて陸上で暮らすようになった、と考えられており、人類もその子孫だということになる。 200万年前から100万年前、アフリカ大陸の北側から、陸地づたいに、地中海東岸(英語版)あたりに生活の場を広げ、ユーラシア大陸を西方へ(地中海北側を、ヨーロッパ方面へと)進む者と、東方へ(中央アジア、東アジア方面へと)進む者に分かれて広がっていった、と考えられている。 約50万年前、アジアには北京原人、ジャワ原人などの原人がいたことが知られている。かれらの脳容量は猿人の約2倍(約1,000ミリリットル)あったと推定される。洞穴や河岸に住み、堅果の採集や狩猟を生業としていたことが知られ、礫石器や火の使用の痕跡も確認されている。 やはり約50万年には現在のヨーロッパあたりで、旧人の一種のネアンデルタール人(※)が暮らしており、その骨の化石が多数発見されている。(年代は、31万5000年前から80万年以上前までの様々な時期が示されている)ネアンデルタール人の脳の容量は現世人類とほぼ同じ(1,300-1,600ミリリットル)で、剥片石器の使用が認められる。地質学上、氷河時代にあたっていたため、炉をともなう住居に住んだり、毛皮の衣服を着るなどの生活上の工夫がみられる。死者の埋葬もおこなわれており、たがいに協力しあって生活を営んでいたことが知られている。 (※)長らく「ネアンデルタール人は現生人類にはつながっていない」などと考えられていたが、最近のDNA研究で、数十万年前から数万年前まで「現生人類」はネアンデルタール人たちとたびたび「交雑」していたことが判明している。つまりネアンデルタール人と現生人類は数十万年前から数万年前までたびたび「男女関係」を持ち、子をつくり、そのDNAが、何度も何度も重層的に現生人類内で広がり、現在に至るまで脈々と残っている、ということであり、ネアンデルタール人も現代の人類の、まぎれもない「先祖」(の一部)なのである。現代のヨーロッパ人、アジア人、いずれのDNAにもネアンデルタール人のDNAが4~2%ほど含まれている、という(ヨーロッパ人のほうが多めに含んでいる、というデータを示している研究もある)。(一方、アフリカの地から出ずアフリカに留まった いわゆる「アフリカ人」のDNAにはネアンデルタール人のDNAはわずか0.3%ほどしか含まれていないという)
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