人身御供の分析
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神話学者の高木敏雄は「日本神話伝説の研究」において、人身御供伝説の形式と分類を行っている。(高木自身は、日本国内の人身御供の存在には懐疑的であったが、見付天神の人身御供を例にとって「人身御供そのものが過去の事実として信ぜられている。すべての民間伝説はその伝承地の民間においては、必ず事実として信ぜられるものであるから」述べている。) 何故人身御供が起こったのか、その謎について、高木敏雄は「日本神話伝説の研究」501頁―502頁にて考えを述べている。 凡(すべ)ての水界と空中界と、まだ人類の勢力範囲に成っていない陸界の一部分とは、神の領分である。人類社會(会)の發(発)展はこの神の領分の縮小壓(圧)迫である。領分の縮小圧迫は神に対する侵害である。この侵害に對(対)して、神は相當(当)の防禦(禦=御)手段を取ることもあれば、相當(当)の犠牲を人類から得て満足することもある。この場合に人の生命又は身体が犠牲にされると、其處(処)に人身供犠という現象が生ずるのである。併(しか)しこの如きは、人類史上現象として餘(余)りに一般的 そして、早太郎童話論考で扱っている邪神や夜叉に女子や男子の生贄を與(与)える神話と異なる人身御供の話を同書502ページより述べている。 此(この)種の犠牲は、人類社会と利害を異にする、あるいは反対にする、廣(広)い意味でいえば、人類社会の外にある邪神に対する犠牲であって、内にある神、即ちある種族または部落の守護神、小にしては所謂(いわゆる)鎮守(ちんじゅ)の社(もり)に鎮(しずま)りまして、その部落と親密なる親子主従のような関係を持っている神に対する犠牲とは全然その性質が異なっている。後者の祭祀は、年々定まった季節又は月日に行なわれる。慣例により神聖となった、厳重な、時として面倒臭い儀式の下に行なわれる祭祀である。この祭祀の一個の必須条件として人身供犠が行なわれるが、最も狭い意味においての人身御供で、人類の宗教史上の現象として甚(はなは)だ重要なるものの一つである この形式で行われた恐れのある祭祀が、坂戸明神の人身御供の儀式であると同書(高木敏雄「日本神話伝説の研究」岡書院1925年5月20日発行525頁―527頁)の中で高木敏雄は述べている。 坂戸明神の話に移る。久しい間の伝承で神聖にされた、馬鹿にできぬ儀式がある。祭祀の儀式としての人身御供の存在説を主張する者の提供した、或は寧ろ提供し得る證據(しょうこ)物件の中で最も有力なるものである。爼(マナイタ)と庖丁(ホウチョウ)、それから生きた實(実)物の人間、考えたばかりでも身の毛が立つ。爼と庖丁とが、果たして人間を神に供えた風習の痕跡だとしたらどうだ。犠牲を享(う)ける神は、鎮守の社に祀られる神である。捧げるものは氏子の部落である。捧げられる犠牲は、氏子の仲間から取らなければならぬ。人身御供という風習の言葉の中には、久しい間の慣例と云うことの意味が含まれているではないか。鎮守の社の祭祀は、年毎に行われる儀式である。人身御供と云うことが此祭祀の恒例となっている以上は、春秋二度とまで行かずとも毎年一度か少なくとも二三年に一度位は行わなければなるまい。凡ての伝説は、毎年のこととしているではないか ※「広報ふじ1967 ふるさとのでんせつ」1967年5月15日発行3頁で語られる「生贄の淵」の人身御供を伴う祭りは12年毎に行われると書かれており、諏訪神社で行われていたとされる人身御供の儀式は3年毎であったと考えられているため、人身御供を伴う祭りが、必ずしも毎年あったとされているわけではない。 528頁では、人身御供伝説が史実とした場合の問題点をあげている。 528頁 普通の場合に神前へ供える物は、生贄でも果穀でも調理したものでもすべて、再び神前から下げられて、信者の口に入るとか、河へ流されるとか火に焼かれるとかする。若(も)し肉体を具えぬ神の祭壇に人を供えるとしたら、この人を殺す役目に当たる者のことも考えねばならぬ。殺す儀式のことも考えて見ねばならぬ、殺した後の死骸の始末は、更に重要な問題として考えても貰わねばならぬ
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