人身御供の儀式
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複数の古典文献において、ドルイドが人身御供の儀式に関わっていたことが記されている。しかしドルイドが自身の教義を残さなかった以上、人身御供の儀式を裏付ける考古学的な根拠を発見するのは困難となる。一見当時の生贄と思われる遺体が発見されてもそれが本当に生贄なのか罪人への処罰だったのか判断するのは難しい。さらにいえば罪人の処罰を生贄の儀式に利用した可能性や、戦死などの理由で死亡した遺体を宗教的儀式に利用した可能性もある。 イギリスで発見された湿地遺体であるリンドウ・マンは、人身御供の犠牲者であるとする見方がある。「彼」は健康状態がよく、爪が整っており高い身分の人間だったと推測されている。リンドウ・マンの腸にはヤドリギの花粉が残されており、これはプリニウスが記したヤドリギを珍重し薬として用いるドルイド像を連想させる。しかし彼がドルイドによる人身御供の儀式の犠牲者、あるいは自ら望んで生贄となったドルイドそのものであったとしても、ガリアで同様の儀式が行われていたかどうかは断定できない。 グンデストルップの大釜の内側のプレート Eでは巨大な人型に捕まえられた人間が大釜に浸されようとしており、これがケルトの人身御供の儀式を示していると捉える見解がある。しかしこれについては三重の死(英語版)の一部を指していると見る向きもあり、またそもそも大釜自体がトラキア起源であり、プレートに示されているのはケルトの儀式ではないとする説も有力である。
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人身御供の儀式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 15:47 UTC 版)
ルカヌスは『内乱』においてテウタテスをエスス(英語版)やタラニス(英語版)と共に人身御供を要求するガリアの神の一つとして挙げている。 「 酷烈のテウタテス神がおぞましい(人身御供の)血で、また恐るべきエスス神が野蛮な祭壇で鎮められ、スキュティアのディアナに劣らず過酷なタラニス神の祭壇が祀られる地の部族も然り。また、汝ら、歌人として、戦に斃れた雄々しい英霊を末永く未来に歌い伝える者たち、バルディよ、汝らも心安らかに数多の歌謡を歌った。また、ドルイダエ、汝らも、武器を置き、蛮族の習いの、聖なる儀式へと戻っていった。 」 —ルカヌス(内乱より) 『内乱』その物にはこれ以上の記述はないが、四世紀から九世紀の間に書かれた『内乱』に対する古注を一つに集積した『コメンタ・ベルネンシア(英語版)』はこの人身御供に関する儀式により詳細に触れている。これによれば(メルクリウスと同一視された)テウタテスへは、水を満たした釜に人間を逆さに突っ込んで溺死させるという方法で生贄を捧げたとある。 グンデストルップの大釜には『コメンタ・ベルネンシア』が示した、釜を使った溺死による生贄の儀式を示したとも解釈できるプレートがある。歩兵と騎兵が行進しているためプレートが描いているのは戦いの儀式であると思われる。プレートの左端には神と解釈できる巨人が大釜の上に人をぶら下げている。このプレートが描いているのがケルトの戦いの儀式であり、巨人をテウタテスであると解釈するのであれば、テウタテスが戦いの神の性質を持つことを示す一つの根拠になる。ただしグンデストルップの大釜には様々な解釈が成立し定説がない。歩兵が儀式を行う神へと行進し、騎兵はその逆に行進していることに注目するのであれば、これは生贄ではなく、戦争の前に騎兵に施した儀式とも考えられる。そもそもケルト由来の物ではないとする説もある。
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