製作の背景とさまざまなバージョン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 14:34 UTC 版)
「ウィッカーマン (1973年の映画)」の記事における「製作の背景とさまざまなバージョン」の解説
『ウィッカーマン』はハマー・フィルムのホラー映画の吸血鬼役で知られたクリストファー・リーが自らの演技の地平を広げようとしていた時期に、ブリティッシュ・ライオン(英語版)の社長ピーター・スネルと共同で作った映画だった。まずリーと劇作家アンソニー・シェーファーが出合い、一緒に映画を作ろうという話が決まり、ブリティッシュ・ライオン社が企画に加わった。シェーファーと監督のハーディは、ハマー・フィルムのホラー映画のファンであったが、これから作る映画はそれらと対照的な印象の映画、例えば「古代の宗教」を中心に据えたホラーにすれば面白いだろうと考えた。 シェーファーは、警官が田舎で起こる儀式殺人の調査のために呼ばれるというデイビッド・ピナーの小説『Ritual』(1967年)を読んで、これを原作としようと考えた。『Ritual』は、もとはマイケル・ウィナーの監督、ジョン・ハートの主演を予定してピナーが執筆した映画原案だったが、ウィナーが企画から降りたために、小説として完成させたものだった。シェーファーとリーはピナーから映画化権を買って脚本化に取り掛かったが、そのままではうまく映画にならないと考え、小説に基づいてはいるがほとんど別の物語として脚本を執筆した。シェーファーは普通のホラー映画よりも「若干洗練された」映画にしたいと考え、暴力や流血は最小限にしようとした。映画の中の人身御供の儀式がどのようなものかを思いついた瞬間にようやくこの映画の焦点が明確になったという。題名ともなっている「ウィッカーマン」を儀式の中心とし、現代のキリスト教徒と田舎の異教の共同体を対立させるというアイデアにシェーファーは興味をそそられ、異教に関する研究に打ち込んだ。ハーディとの打ち合わせで、現代の現実にありそうな場所を舞台に、本物の伝統音楽を伴奏にして、異教の要素を客観的かつ正確に紹介する、という基本が定まった。素材の一つとして、ジェームズ・フレイザーの宗教や神話に関する研究書である『金枝篇』が使われた。
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