事務総長としての中立性
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国連事務総長は複数国家の代表として、職務の中立性が求められる。しかし、潘は事務総長就任以来、上記の縁故採用問題などの他に下記にあるような事務総長としての中立性を保っていないとされる出来事を起こしている。 2007年10月24日の「国連の日」においては、毎年この日に恒例行事として国連本部で行われる事務総長主催のコンサートが開催された。加盟192か国の大使や外交官ら約1600人が出席した。この日、潘の意向によって母国のソウル・フィルハーモニー管弦楽団が公演を行い、ソウル市と韓国国連代表部がコンサートを後援した。 このコンサートの場において、韓国国連代表が作成した「Welcome to KOREA」と題された、日本海を「東海」と表記した英文のパンフレットが式次第とともに配られた。事務総長が主催する国連コンサートでこうしたパンフレットを配布するのは過去に例がなく、国連側はその場で回収するなどの措置も取らなかった。韓国側は地名の表記方法などについて話し合う国連地名標準化会議で、日本海の呼称を「東海」と併記するよう求めており、加盟国大使らが多数出席するコンサートの場を利用して自らの主張の定着を狙ったものとみられる[誰?]。翌日、日本の国連代表部は国連事務局と韓国国連代表部に対し、文書などで抗議を行った。 2008年7月3日、 事務総長就任後初めて訪韓した際に、訪韓の感想を問われて、「韓国人の国連事務総長として韓国の国力伸張に貢献できるようベストを尽くす」と述べた。一方で2008年になると、韓国国内の政治の混乱、また国際社会において韓国が自ら果たすべき役割の規模が小さ過ぎるという現状に対し、メディア等で苦言を呈する場面も出てきている[要出典]。 2011年11月30日、釜山にある国連軍の兵士などを埋葬したUN記念公園を事務総長として初めて訪問した。 2011年、安重根が日本の元老である伊藤博文を暗殺するミュージカルがニューヨーク・リンカーンセンターで公演されると、ニューヨーク滞在の各国国連大使を招待した。 2013年8月26日、前任の事務総長までの慣習である「歴史を消し去ることはできない」との言及をやめ、「『日本政府や政治指導者ら』は、とても深くみずからを省みて、国際的で未来志向のビジョンを持つことが必要だ」と中立的立場をとらない対日批判を行った。なお国連憲章100条1には「事務総長及び職員は、その任務の遂行に当って、いかなる政府からも又はこの機関外のいかなる他の当局からも指示を求め、又は受けてはならない。」との記載があり、この規定に抵触する可能性が指摘されている。中国外務省はこの発言に対して「『積極的に』評価する」と支持表明し、韓国との共闘をアピールした。 2015年5月9日、ロシアによるクリミアの併合に抗議して西側諸国が欠席する中で行われたロシアのモスクワ対独戦勝記念式典(英語版)に出席。同年9月3日、北京で行われた中国の「抗日戦争勝利70年」記念式典と軍事パレードにも出席。日本の菅義偉官房長官が8月31日の会見で「国連には190か国以上が加盟しており、国連はあくまでも中立であるべきだと思う」と述べ、国連内でも出席に疑問を持つ声が上がるなど、中立性に疑問が呈された。2015年9月4日、この日本側の抗議に対し、潘は中国中央テレビのインタビューにおいて、「国連は中立的な機関(neutral body)ではない」と正面から反論した。また、人道に対する罪、戦争犯罪、ジェノサイド罪の容疑で国際刑事裁判所から訴追されているスーダンのオマル・アル=バシール大統領が同席していたことに自ら国連加盟国に逮捕状執行を呼びかけていた潘が何ら行動しなかったことも非難された。
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