事務総長辞任の経緯とは? わかりやすく解説

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事務総長辞任の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/21 22:12 UTC 版)

近藤英明」の記事における「事務総長辞任の経緯」の解説

1953年4月参議院議員通常選挙の後、緑風会社会党参議院第二党の座を奪われ第三党となったが、緑風会河井彌八会長自由党吉田茂首相面談して、この際自由党系の無所属議員自由党入党させず緑風会入会させて緑風会第二党地位を保たせてほしい、そして、緑風会参議院第一党自由党協力して円満な運営期したい申し入れたその結果自由党無所属議員緑風会入会により、緑風会第二党地位得て参議院議長自由党副議長緑風会という了解がされたとされていた。しかし、社会党は、この情勢を不快として議長緑風会から出すように要求した自由党はこの社会党主張反対し、河井会長社会党申し入れ緑風会総会に諮り、自らが議長候補者となる旨を決定するに及び、自由党は各会派代表者懇談会議院運営委員会出席することを拒否する至った河井会長は、議長選挙議事主宰することとなる近藤対し速やかに本会議を開くことを要求してきたので、近藤は、書記官長務めた貴族院事務局先輩でもある河井会長対し経緯からして議長受けてよいのか信義問題としてよいか。」と質したが、「推されるものは受ける。やむを得ない。」との返事受けた近藤主宰する議長選挙の結果河井第3代参議院議長の座に就いたが、近藤河井議長事務総長として補佐する意思失い河井議長近藤辞任希望したので、6月辞任許可され22年勤めた国会去った。後に近藤は「責任政治建前からは少なくとも議長第一党がとることが妥当」であり、「中間無所属会派一、二人々策謀や、私慾のためにこれが左右されることがあっては政治昏迷陥れるのみ」と回顧している。 事務総長辞任後は、日本空港リムジン交通株式会社社長などに就き1967年から中央選挙管理会委員となり、1977年から同委員長連続3期務めた

※この「事務総長辞任の経緯」の解説は、「近藤英明」の解説の一部です。
「事務総長辞任の経緯」を含む「近藤英明」の記事については、「近藤英明」の概要を参照ください。

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